東から望む高取山(中央の一番高い山)=鳥栖市牛原町

 鳥栖市の北西部に広がる勝尾(かつのお)城筑紫(ちくし)氏遺跡は戦国期の遺構がよく残る国史跡ですが、その中の一つに標高290メートルの高取山に築かれた高取(たかとり)城があります。

 高取城は本城である勝尾城の南側を守るとともに、谷筋に沿って攻め寄せてくる敵を抑える役割を担っており、山頂には城を守るための土塁や出入り口である虎口(こぐち)の跡などが残っています。

 高取城をはじめとする鳥栖地域を治めていた筑紫氏は、天正14(1586)年7月に薩摩の島津氏と合戦を繰り広げますが、その激戦地となったのが7月6日に行われた高取城での攻防でした。

 筑紫側は当主の弟ともいわれる筑紫晴門を城主として、家臣27人とともに籠城した岩橋麟可(筑後八丁島城主)などが守ったようです。

 一方、攻め寄せた薩摩側の記録では、島津忠隣(ただちか)が負傷し、家臣脇元城介や北郷忠虎(ほんごうただとら)の家臣福崎左近らが戦死、上野隼人佑は筑紫方の武将と一騎打ちして刺し違えたことなどがそれぞれの「家譜」や「覚書」などに記されています。激戦の末、高取城は落城し、その後、筑紫氏が降伏したことで合戦は終結しました。

 現在は植林されたスギやヒノキに覆われた静かな高取山ですが、戦国時代の歴史が今も眠っています。(地域レポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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