『1867パリ万国博佐賀藩派遣団』(『仏国行路記』所収、前列中央:佐野常民、前列右端:野中元右衛門)

 慶応3年(1867)にパリで開催された万国博覧会。佐賀藩の威信と期待を背負い、まとめ役として、佐野常民は、博覧会に臨みます。しかし、現在のような飛行機がない時代、日本からおよそ1万キロ離れたパリまでの船旅は彼らにとって想像を絶するものだったに違いありません。

 随行者の一人、野中元右衛門は「仏国行路記」の冒頭にこう述べています、「あたり一面暗闇の中(自分たち一行を送迎してくれた)船が帰っていくのをみて、一層心細くなったが、これで四人の心が一つになった。(これから遥かな旅にでよう)」。暗闇の中、自分たちを送ってくれた小船が次第に遠ざかるのを見、不安と心細さにさいなまれつつも、勇気をふりしぼって未知の長旅にまさに踏み出そうとする、佐野達一行の姿が目に浮かぶようです。

 しかし、一行が目にしたものは、日本では到底お目にかかれないようなものばかりでした。当時英国領であった香港では、英国の技術と欧米列強に侵食されつつあった清国の現状を見、シンガポールでは酷暑の中、現地の人々のたくましさに驚き、アデン(現イエメン共和国)では、一面草木がない荒涼とした砂漠の中に身を置いています。一行は、これでも佐賀にいたときは、それなりに外国への知識を持っていた人々です。しかし、その一行が目にした現実は、それをはるかにしのぐ衝撃的なものであったことは想像に難くありません。それは まさに「世界の現実」を目にし、ひるがえって一行に佐賀藩そして日本の「立ち位置」を意識させる契機になったのではないでしょうか。そして、2カ月にわたる長い旅を終えて、一行は絢爛(けんらん)たる世界の都パリに足を踏み入れたのです。

 (佐野常民記念館学芸員・近藤晋一郎)

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