大名小路の旧淺野邸

 唐津城まで程近い大名小路には旧淺野邸が建っています。主屋は大正、昭和に入って茶室や2階、後に離れを増築しています。現在は心と身体を優しく整える場「ピラティススタジオミューク」と貸スペースとして活用されています。

 唐津藩は寺沢氏の改易後、譜代大名いわば転勤族の藩主が治めていました。最後の藩主は小笠原氏。家康と信長の孫・登久(とく)を母に持つ小笠原忠知が祖でした。忠知は1655年、千宗旦の高弟・山田宗徧を召し抱えるほど茶湯に傾倒しました。この忠知系小笠原氏は江戸時代、杵築藩、吉田藩、岩槻藩、掛川藩、棚倉藩を経て1817年、唐津藩に入ります。

 近藤家は小笠原氏が杵築藩の時からの重臣で三百石、淺野家は吉田藩の時からの重臣で百石の大家でした。淺野家には幕末、家老・近藤甚右衛門の四男が養子に入り淺野正右衛門と名を改めて近習を務めました。淺野家は代々小笠原家の教育係という家柄。正右衛門は志道館の教官も担いました。1868(慶応4)年、新選組と共に函館まで転戦した唐津藩は朝敵と見なされ存亡の危機に追い込まれます。家老ら十数人の重臣が長国の恭順の意を受け各地に走りました。父・近藤甚右衛門は嘆願のため上洛しています。

 淺野家には山田宗徧が彫った木像が残されています。最後まで実家の淺野家に住んでいたのは龍久(りゅうひさ)さん。茶湯の心を伝えてきたまなざしは今も庭を吹き渡っているようです。

文・菊池典子

絵・菊池郁夫

(NPOからつヘリテージ機構)

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