2015年4月7日、脳出血で佐賀市の佐賀県医療センター好生館に運ばれ、血腫の除去手術を受けた後、「私」はICU(集中治療室)で丸2日を過ごし、3日後、一般病棟に移された。

 脳出血は、どの場所が出血したか、どの程度出血したかで、後遺症は全く違ってくる。

 私の脳出血の場所は右脳の「脳被殻(ひかく)」。この場所が厄介なのは、運動神経の通り道である「錘体路(すいたいろ)」が近くにあることだ。当時担当してもらった溝上泰一朗(たいちろう)医師(現サンテ溝上病院院長=佐賀市)によると、私の場合は血腫がぎりぎりのところで錘体路に触れていた。それ以上血腫が延びていたら麻痺(まひ)の回復は考えられず、もし血腫が錘体路に届いていなかったら、麻痺さえ出ない境界域だったという。まさに紙一重。「寝たきりにならずに済んでよかった」と考えるしかない。とはいえ、わずかでも錘体路にかかっていた影響は大きかったようで、私は左半身麻痺となった。好生館に入院時、左足と左手の機能評価は最低ランクだったようだ。幸い、言語障害など高次脳機能障害は見られなかった。

 とはいえ、脳血管はそんなに簡単に切れるものだろうか。

 高血圧による脳出血の多くは、穿通枝(せんつうし)と呼ばれる、直径1ミリ程度の細い動脈が切れるという。

 血圧は1日の中で極端に上昇する時もある。あの日、急激に高くなった血圧に耐えきれず、切れてしまったのだろう。ストレスも一因とされる。

 倒れる半年前にMRIの検査を受けていたが、MRIで脳動脈瘤(りゅう)などは発見できても、穿通枝のダメージまでは見分けにくいという。脳梗塞は原因が分かりやすい時もあるが、脳出血は前兆がなく、予測が難しいといわれる。卒は「突然」、中は「当たる」の意味がある。脳卒中はまさに突然襲ってくる。

 倒れる前、私は忙しい仕事を抱えて少し無理をし、生活リズムが狂っていた。ただ、若い頃はサッカーに打ち込み、体力には自信があった。不規則な生活も慣れっこで、多少の無理は大丈夫と過信していた。50歳になって1カ月後の発症。「半世紀も生きていれば何が起きるか分からないよ」とは後日、同級生から受けた言葉。体力に自信がある働き盛りの男性ほど過信は禁物。私は40代になってから血圧が高めだったが、放置していた。忙しい時ほど自分に優しく。自戒を込めてそう思う。(佐賀新聞社・論説委員)

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