2015年5月初旬。佐賀市の佐賀県医療センター好生館から小城市内の病院に転院して2週間が過ぎ、世間はゴールデンウイークに入っていた。

 「私」はこの頃には毎日午前と午後、計3時間のリハビリをこなし、お風呂は週2回という生活パターンが確立していた。当時の入浴は機械浴。ストレッチャーに寝かされ、そのまま湯船に沈む。スタッフの一人は散髪ボランティアに取り組んでいて、私もお世話になった。本当にありがたかった。

 少しずつ心の余裕を取り戻し、スマホで「片麻痺(まひ)」のことを調べては、いろんなことを考えるようになった。仕事中心で健康を顧みなかった反省よりも、今後への不安が強くなっていた。本格的なリハビリを始めたことで、片麻痺の体が想像以上に厄介なこと、リハビリの道程が極めて厳しいことに気づかされていた。

 ある日、見舞品の本をとろうとして一人で車いすに移り、手を伸ばした時、車いすごと倒れてしまった。ブレーキをかけ忘れたからだ。気づいた隣のベッドの患者さんが看護師さんを呼んでくれた。妻や看護師さんに叱られ、かなり落ち込んだ。

 好生館でも感じたが、病室の窓は全開できない。患者の転落防止のためだ。他人事のように思っていたが、いざ、自分が患者の立場になると、「この体では生きていてもあまり意味がないのかな」とついつい思ってしまう。だが、転落どころか窓に近づくことさえできないと気づき、余計に悲しくなった。

 脳卒中で後遺症が残った場合、まずは、中途障害者になった現実を「受容」することから始めなければならない。その上で必要なのは、「障害があっても、くじけずに頑張る」という決意、いや、「一生、この体と付き合っていく」という「覚悟」だろう。動かないからといって、今まで頑張ってくれた左半身に感謝こそすれ、責める必要はない。右手をはじめ、使える機能もたくさんある。

 とはいえ、これまでの生活から激変した環境に、やる気が出ない日もあった。五月病のような感じになっていた私を見かねたのか、ある日、「職場復帰したくても現実は厳しい面もある。最悪の事態を想定して頑張った方がいい」と担当医に言われた。

 会社は障害者になった自分を受け入れてくれないということだろうか。「そんな非情な会社ではない」。私はこの激励が発奮材料となり、「くじけずに頑張るしかない」と覚悟を固めた。(佐賀新聞社・論説委員)

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