御屋形日記(元禄五年十月十三日条 多久市郷土資料館蔵)

 「御屋形日記」(佐賀県重要文化財多久家資料の内)は、多久領主である多久家に伝えられた役所の記録です。時期によって「役所日記」「日記」と表記されているものもありますが、1682年から1869年までの間、全189冊に及ぶ貴重な史料です。

 1692(元禄5)年10月13日に次の記事があります。

 「1660(万治3)年に亡くなった徳寿院(初代多久領主多久安順の妻)の後を追って自殺した袋伊之允と江副幸右衛門を、徳寿院の三十三回忌を機に殉死者と認め、彼らの子孫へ銀を拝領させた。」

 なぜ30年以上たってから二人の殉死を認めたのでしょうか。当初袋と江副は、二代領主ですでに隠居していた多久茂辰に殉死を願い出ますが、「生きて徳寿院の恩に報いてほしい」と許されませんでした。しかし二人は茂辰に背き命を絶ちます。茂辰は怒り、彼らを殉死者として扱いませんでした。徳寿院死去の翌年、佐賀藩では殉死が禁止され、さらに3年後幕府も禁止しました。

 江戸時代になって数十年、平和の世になり、主君への忠義を示すはずの「殉死」が「無益の死」であり、生きて主家に奉公することこそ忠義であるとされるようになりました。それでも殉死を突き通した二人には、時間の経過によって名誉回復がなされ、子孫に銀が与えられたのです。(志佐喜栄=多久市郷土資料館)

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 「御屋形日記」は、多久市郷土資料館で開催中の「古文書学校の活動」展(6月7日まで)にて展示中です。

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