祇園川河畔公園に建てられた青木繁の短歌の歌碑

小流れに 鉤(はり)を流して 手をたばね 肥前の国は 小城に釣りする

 夭折(ようせつ)の天才画家として知られる青木繁が小城で詠んだ短歌である。画業の傍ら、短歌を多く詠んでいる。この短歌を記した歌碑が、祇園川河畔公園に建てられている。

 明治44(1911)年、肺結核のため28歳で没した青木は亡くなる前年に小城に滞在しており、この時に詠まれたものと思われる。明治15(1882)年、久留米で生まれた青木は画家を志し上京。画塾不同舎に入り、東京美術学校西洋画専科に入学した。卒業後、東京を中心に画業を続けていた中、父危篤の報に接し久留米に帰郷した。家族と衝突し、家を出て熊本、福岡、佐賀の知人を訪ねる生活を送った。

 画塾不同舎の知人で、旧制小城中学校美術教師の平島信を頼り、小城には明治43(1910)年7月に訪れた。一時唐津に行った後、9月に小城に戻っている。その後、肺結核による喀血(かっけつ)で福岡の病院に入院し、翌年3月没した。

 小城滞在の縁で、唐津の海を描いた「朝日」が小城高校同窓会「黄城会」の所有(佐賀県立美術館寄託)となっている。青木繁の絶筆とされ、佐賀県重要文化財に指定されている。

 小城では、肺病を患いながらも、落ち着いたひとときを送った情景が短歌から想像される。(小城市教育委員会文化課・田久保佳寛)

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