花散らしの雨に誘われるようにして、先日、父が逝った。86歳だった。生老病死は人の常。覚悟はしていたが、肉親との別れはつらく、悲しい◆三十数年前、佐賀新聞社に就職が決まった後、マスコミ関係の本をよく読んだ。「新聞記者は親の死に目に会えない」との一文が記憶に残った。事件事故の現場から簡単には離れられないという心構えを説いた言葉だったが、筆者は幸い、父の最期にも立ち会えたし、1週間の休みももらった。休みの間は(知)さんにカバーしてもらった。支えるより、支えられる時が多い気がする。全ての人に感謝である◆熊本地震の「本震」からきょうで5年。あの日、予期せぬ別れを経験した人もいるはずだ。覚悟していてもつらいのに、突然の別れを受け止められるはずはなかっただろう◆昨年10月の本紙「ひろば」欄に、唐津市の北原まど佳さん(当時肥前中3年)が「人は物理的な死と、忘れられての死と、2回死んでしまう」という意味の文章を投稿していた。よく分かる。人は亡くなっても、誰かの心の中で生き続ける◆生死の境は紙一重。熊本地震をはじめ、災禍や闘病の中で助かった人には、生かされた意味があるのだと思う。ただ、寡黙だった筆者の父が大きな期待をしているわけでもないだろう。ただ一言、「今を大切に」という声が聞こえる。(義)

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