牛原町に残る敵味方供養址記念碑。背面に建立の経緯などが刻まれている=鳥栖市牛原町

 地域の鎮守様として崇敬される牛原町の四阿屋(あずまや)神社から東へ300メートルほど行くと、小高い場所に組まれた石垣の上に石碑があります。表面に敵味方供養址記念碑と記された石碑は、戦国時代の合戦をしのんで昭和12(1937)年に建立されたものです。

 石碑がある一帯は、戦国時代には勝尾(かつのお)城を居城とする筑紫氏の城下でした。天正14(1586)年7月、勝尾城を守る筑紫氏と数万の大軍を率いた薩摩の島津氏は、勝尾城下で激しい合戦を繰り広げ、守る筑紫方はもちろん、攻め手の島津氏側にも龍造寺隆信を討ち取ったことで知られる川上忠堅をはじめ数多くの戦死者が出ました。

 合戦は筑紫氏が降伏したことで終結しますが、合戦後に島津氏は敵味方関係なく犠牲者を供養したと伝えられています。

 やがて、昭和に入ると郷土の歴史を顕彰する動きが起こります。昭和9(1934)年に刊行された『佐賀県史蹟名勝天然紀念物調査報告』第四輯では、供養跡と伝わる地が複数報告されています。そのうちの一つ、桜馬場と呼ばれていた場所に記念碑の建立が決まり、昭和12(1937)年7月、佐賀県知事と川上忠堅の末裔(まつえい)である川上家の支援を受けた肥前史談会によって敵味方供養址記念碑が建立されました。

 戦国時代の伝承を伝える地を保存し、後世に語り継ぐために建立された石碑は、現在も変わらずに私たちに鳥栖の歴史を伝えてくれています。(地域レポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

このエントリーをはてなブックマークに追加