春の日永に夕暮れを歩けば、葉桜が日一日と増えてゆく。〈ひとは生涯に/何回ぐらいさくらをみるのかしら/ものごころつくのが十歳ぐらいなら/どんなに多くても七十回ぐらい/三十回 四十回のひともざら/なんという少なさだろう〉。茨木のり子さんは詩「さくら」に書いた。そんな大切な一回を、また今年も見送っている◆いつかまた…能狂言では別れ際「いずれ春永(はるなが)に」というあいさつが交わされる。春が訪れのんびり日が長くなったら再会しましょう、と。冬が去って明るい季節になれば愛憎も好悪も、あらゆる人間的感情がご破算になる。自然な時の流れを、くすりにも希望にもした古人の知恵がほの見える言葉である◆きょうから新年度。路上に散った桜の花びらをよけながら、新しい職場へと急ぐ姿もあるだろう。社会人の一歩を踏み出す若者たちにとっては、コロナ禍で厳寒の就職活動をくぐり抜け、ようやく迎えた春である。〈押しひらくちから蕾(つぼみ)に秘められて万の桜はふるえつつ咲く〉松平盟子。早咲きにしろ、遅咲きにしろ、いつか時は訪れる◆葉桜が来年また花をつけるころ、私たちは笑い合えているだろうか。会いたい人に気兼ねなく会える日は戻っているだろうか。時の流れはいまも、くすりであり希望でもある◆「いずれ春永に」―祈るような思いで、筆をおく。(桑)

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