ウシャコダのライブ後、記念撮影する一力千恵さん(中央)らスタッフとミュージシャンたち=唐津市二タ子のリキハウス

リキ企画としてライブ運営を担ってきた稲葉浩さんのライブ=2020年8月23日

リキハウス50周年記念ライブで一夜限り復活した伝説のバンド火縄銃=2020年11月21日

コンサートの打ち上げで加川良さん(左)と談笑する一力干城さん(右)=1985年5月、唐津市内(提供写真)

半世紀にわたって多くのミュージシャンたちが愛し、育っていったライブハウス「リキハウス」=唐津市二タ子

一力干城さんのポートレートや中上健次さんが残した色紙などが飾られたコーナー

ライブに訪れたミュージシャンが記念にコースターに残していったサイン=唐津市二タ子のリキハウス

ライブに訪れたミュージシャンが記念にコースターに残していったサイン=唐津市二タ子のリキハウス

練習スタジオに通じる廊下の壁には張り出されていたライブのチラシ=唐津市二タ子のリキハウス

ウシャコダのライブ後、乾杯してたたえる一力千恵さん(中央)。稲葉浩さん(右から2人目)はライブ運営を支えてきた=唐津市二タ子

ウシャコダのライブ後、リーダーの藤井康一さん(左)を乾杯してたたえる一力千恵さん。稲葉浩さん(右から2人目)はライブ運営を支えてきた=唐津市二タ子

貸しスタジオで多くのミュージシャンたちが育ったリキハウス=唐津市二タ子のリキハウス

 唐津のライブハウスの草分けで音楽シーンをけん引してきた唐津市二タ子のレストラン・ライブハウス「RIKI HOUSE(リキハウス)」が、4月4日で半世紀の歴史に幕を下ろす。若者の夢を後押しし、「リキさん」の愛称で慕われた一力干城(いちりきたてき)さんが1990年に46歳で亡くなった後は、妻の千恵さん(74)が30年間、店を切り盛りしてきた。昭和-平成-令和と、県内外のミュージシャンの憧れの舞台だった空間。惜しまれつつ「みんなの青春だった。リキさんの思いはしっかりと受け継がれていくでしょう」(千恵さん)と区切りを付けた。

 「何年たってもおまえを忘れはしないぜっ」。3月20日夜、リキハウスと40年以上の付き合いがあるというソウルバンド「ウシャコダ」のリーダー藤井康一さん(63)が恩返しを込めたライブ。カウンターから千恵さんも「燃え尽きようぜ」と声を上げた。客も一体となり、この場所の思い出を刻むように盛り上がった。

 最初はピザ店

 スタートは5坪(16・5平方メートル)のピザ店だった。干城さんは唐津東高から東京の国士舘大へ進学した。母校の教師になることを諦め、新宿のジャズ喫茶「ジャズヴィレッジ」に集まってくる若者たちと刺激し合う中で映画監督を目指す。しかし、ロケ先で交通事故に。その後、急速にやせていき、若年性糖尿病が判明し入院、失意の中で帰郷した。

 千恵さんと出会い再起して結婚、1970年、唐津市南城内の名店ビル地下1階に「ピザハウスリキ」を構えた。福岡のイベント会社の依頼を受けて吉田拓郎や中島みゆき、チューリップ、矢沢永吉らのコンサートを市民会館で開催、音楽を志す若者たちがスタッフで動いた。自店で打ち上げをし、著名人たちとの交流も若者たちを引きつけた。

 同じ地階の飲食店が閉じたのを機に17坪の跡地(58平方メートル)に移り、自前のライブ環境が整った。高校生をはじめミュージシャンを目指す若者たちのたまり場となった。

 「若い人が大好きで、可能性があれば、アドバイスしたかったようで。自分が若い時に自分みたいな大人がいたらうれしかったと言って、その役目を果たしたかったみたい」と千恵さん。「悩んでいることを手助けし、やりたいことを後押ししたい」。若い世代が夢を果たすことや、希望を見いだせるよう支援した。

 干城さんががんで亡くなった時、千恵さんは「リキさんなしでやっていく自信がなく、悩んだ」。一度はやめる決意を固めたが、通夜と葬儀でリキさんをしのんで集まってくる人たちの様子を見て、思い直す。「とてもやめられん。リキさんは人という財産を残してくれたんだ」

 

 ホームタウン

 干城さんが亡くなって8年後、JR西唐津駅横の現在地に移転し、練習スタジオも設けた。毎月2、3組のプロやアマのライブを続けてきた。千恵さんは「礎を作ってくれて、実りの時だった」と振り返る。

 ただ、昨年は例外に漏れず、新型コロナウイルス感染拡大の影響を大きく受けた。春からライブは中断、8月に再開したものの、11月の50周年記念ライブなど数本にとどまった。

 千恵さんは64歳の時にリウマチを発症、治療しながら続けてきたが「中途半端にはできない。ちゃんとするには限界と思った」。50年の節目を迎えたことも決断する理由になった。「精いっぱいやって、後悔はない。これで完結、すっきりした」とほっとした表情を見せる。

 サークル的な「リキ企画」でライブ運営を担ってきた稲葉浩さん(60)は「始まりがあれば終わりがある。半世紀あり続けたことはすごい」、長年にわたり音響を担当してきた長谷川勇さん(64)も「リキハウスとは45年関わり、憧れた福岡や東京に出なくても、ここでいろんな人たちがやって来て、いろんな話が聞けた。お金じゃない、大事なものが見えてくる場で、楽しくてやめられない。仕事でもないし、遊び場でもないけれど、真剣に音楽ができる場所だった」と語る。「リキさんとの思い出はいっぱいある。無茶なことを言うけど、ちゃんと面倒を見てくれる人だった」と魅力を話した。

 11月の50周年ライブに登場した、唐津を拠点にしていた伝説のバンド火縄銃のボーカル吉田昌彦さん(63)は3月20日も東京から駆け付けて飛び入り出演した。吉田さんは「リキさんとは高校1年の時に出会い、若者の中に率先して入ってきて、新鮮で面白かった。東京時代は伝説の人だった。47年間の付き合いがあり、寂しいよ。ここでのライブがホームタウンだった。リキさんはいろんなものをみんなに残してきた。感謝しかない」と閉店を惜しむ。

 

 最後にバンド集結

 ウシャコダの藤井さんも「リキさんがつくったこの場所だから唐津にも来ていた。特別な場所だった。残念だけど50年はいい節目という気がする。稲葉がヘルプして千恵さんがずっと店を守ってきた。ありがとう」と感謝の言葉を語った。

 地元ガールズバンドのはしり「フレディー」で少女時代に活動した伊藤裕子さん(48)は3月下旬、バンドメンバーだった3人と来店した。「演奏前の準備から後片付けまで経験できた場だった。好きなことってここまでやるんだという姿を見て学んだ。青春そのもの」と懐かしんだ。

 50周年ライブに登場した唐津出身の〓郎(ろくろう)さん(56)は「唐津の若者の安住の地だった。いろんな人がここに携わり、つながった縁で歌っている。感慨深い。店はここで終わるけど、リキの物語はまだまだ続く」と力を込めた。

 レストランは3月31日で営業を終えた。リキさんの命日、4月6日に合わせた3、4日のライブには、リキハウスで育った県内外のバンドが集結し、フィナーレを飾る。(辻村圭介)

 

※〓は音編に力の1字

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