名護屋城の歴史などについて語られた門井慶喜さんの講演会=唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館ホール

名護屋城の歴史などについて講演した門井慶喜さん=唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館ホール

 直木賞作家の門井慶喜さんの講演会が27日、唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館ホールで開かれた。豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として築いた名護屋城の歴史や魅力について語り、約160人の聴衆が聞き入った。

 講演会は、門井さんが昨年、サンデー毎日に連載した「なぜ秀吉は」が、5月に書籍化されるのを記念し開かれた。「名護屋、六年半の首都」と題し講演。「六年半」は豊臣秀吉が名護屋城を築いてから死亡するまでの期間を指し、城と城下町があり、全国から大名が集まったことから「首都」と表現した。

 門井さんは「秀吉は天下統一後、3カ所の首都を築いた」とし、大阪や京都とともに名護屋城を挙げた。他の2カ所と違い、「朝鮮出兵という明確な目的の下に作られた」と説明。城のすぐそばに、石垣を造るために必要な採石場があり、海から採石することが一般的な築城史から見ると「極めて例外的で、効率的な築城ができた」と分析した。

 秀吉の死後、朝鮮出兵は中止となり城や城下町も放置され、歴史の表舞台から姿を消した。一方で、島原の乱で反乱軍が原城に籠城したように、「(江戸幕府が)名護屋城に籠城されてはかなわないと、意図的に放置した可能性もある。それくらい最強の城だった」とも評価した。(中村健人)

 

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