柔道教室で背負い投げの実演指導をする古賀稔彦さん=2000年6月10日、佐賀市の県総合体育館

 佐賀県三養基郡みやき町出身で、1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんが53歳の若さで亡くなった24日、恩師や教え子、県柔道界には、郷土の英雄を失った悲しみが広がった。

 「まだ若くてこれからなのに」。小学生だった古賀さんを少年柔道クラブで指導した平野忻二さん(76)=みやき町=は言葉をなくした。当時から背負い投げや小内刈りなど技のキレは鋭かったが、おごるところはなく、「居残り練習で何度も相手をお願いされた」。朝のトレーニングで、近くの千栗八幡宮の146段の石段を、何度も上り下りしていた姿が印象に残っている。

 中学で古賀さんが上京した後も交流は続き、昨春、平野さんが入院した際には、古賀さんから「じっくり療養してください」と電話があった。「自分も病気だったのに、気遣って励ましてくれた。本当に強くて、優しかった」と悼んだ。

 みやき町出身の佐賀商高柔道部監督の井上安弘さん(38)は現役時代、古賀さんが足腰を鍛えた同じ石段の上り下りを自らに課し、「自分も続くんだ」と奮い立った。「同郷であこがれの存在。古賀先生の姿があったからこそ、佐賀県出身でもやれるんだという気持ちになれた」

 県柔道協会の原田堅一強化委員長(50)=佐賀工高教諭=は、92年の五輪後、古賀さんと一緒に武者修行で欧州に遠征した。「強くて偉大な先輩だった」。教員になるときには「佐賀の柔道を頑張ってくれ」と背中を押してもらったという。2024年の佐賀国スポに向け、県柔道の強化を相談しようと考えていた矢先の訃報。「国スポでしっかりと勝って、恩返しをしていくしかない」と力を込めた。

 小城警察署の江頭麻美さん(29)=佐賀市=は、古賀さんが総監督を務めた環太平洋大女子柔道部で直接指導を受けた。「口だけではなく、一緒に組んで練習し、汗を流した姿をすごく覚えている。華々しい経歴を持った方だったが、私たちにも真摯(しんし)に向き合ってもらった」と当時を懐かしんだ。

 古賀さんは柔道界以外にも交友が広かった。陶磁器製造販売会社を営む原口隆さん(70)=西松浦郡有田町=は、五輪出場選手の記念品を多く手掛けた縁で古賀さんと知り合い、30年以上交流を続けた。原口さんの自宅や古賀さんの実家で何度も酒を酌み交わし、「甘え上手で酒の勧め上手。息子か年の離れた弟のような気持ちだった」

 原口さんは今夏の東京パラリンピックに競技役員として参加する予定。「一緒に五輪やパラリンピックを見ながらたわいない話をしたかった。何より監督やコーチとして、もっと柔道に関わってほしかった」と声を落とした。(取材班)

このエントリーをはてなブックマークに追加