1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級で優勝し、表彰式で両手を上げる古賀稔彦(共同)

 1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級金メダリストで「平成の三四郎」として絶大な人気を誇った古賀稔彦さん=三養基郡みやき町出身=が24日午前9時9分、川崎市高津区の自宅でがんのため死去した。53歳の若さだった。マネジメント会社が発表した。葬儀・告別式は29日に執り行われるが、時間や場所は非公表。

 旧北茂安町で育ち、兄の影響で小学1年から柔道を始めた。中学から高校までの6年間は東京の柔道私塾「講道学舎」で鍛え、日体大に進学。小柄ながら相手を高々と担ぐ一本背負いが得意技で、トップ選手に駆け上がった。90年には無差別級で争う日本選手権で、大型選手を次々と倒して準優勝した。世界選手権は3度制した。

 オリンピックは88年のソウル大会から3大会連続出場した。バルセロナ大会では、練習で左膝に重傷を負いながらも、痛み止めの注射を打って戦い、頂点に立った。その姿は県民に深い感動を与え、県民栄誉賞第1号が贈られた。96年のアトランタ大会は78キロ級で銀メダルに輝いた。

 2000年に現役を引退し、後進の強化と柔道の普及に尽力した。日本女子代表のコーチも歴任、川崎市にある自身の道場「古賀塾」でも指導した。07年に環太平洋大の総監督に就任し、女子で全国屈指の強豪に育てた。

 19年からは、スポーツの選手育成や裾野の拡大を目指す佐賀県の「SAGAスポーツピラミッド(SSP)構想」のアンバサダー(大使)として助言役も務めていた。また、東京五輪の聖火リレーのランナーとして5月10日、ふるさとのみやき町を走る予定だった。(山口源貴)

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