1992年、バルセロナ五輪に臨んだ古賀稔彦さんは試合当日、計量にも歩いて行けないほどだった。練習中に左ひざのじん帯を断裂し、とても戦えるような体ではなかった◆自転車に乗せられ練習場に入ると、痛み止めの注射を打った。すると5分後、何事もなかったようにランニングを始めた。「まだ薬は効いていないはず…」。帯同の医師は驚いたという。もう大丈夫だと自分に言い聞かせていたのだろう。勝負は最後まで捨ててはいけない―あらためて教えられたと恩師の吉村和郎さんが回想している◆その4年前のソウル五輪が転機だった。「金メダル確実」と期待され、「試合をするのが怖い」と震えが止まらなかった。結果はまさかの3回戦敗退。試合後、観客席で周囲に頭を下げている両親の姿をテレビで見た。もうあんな思いはさせたくない。なぜ敗れたのか、自分を深く見つめ直した◆相手が強かったから負けた、そんな言い訳は通用しない。敗因は常に自分の中にある。〈柔道は、私の教科書だった〉と自伝に書いている。どんな困難にぶつかっても、ひるまず乗り越えていける答えを教えてくれた、と◆誰もが持つ「自分の弱さ」に向き合い、挑むことをやめなかったその人は、親しまれた「三四郎」の愛称より、「求道者」の風格をまとっていた。53歳、早すぎる死である。(桑)

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