山の中のモクレンが心を暖めてくれる

 標高があるわが家にようやくモクレンが咲いた。田んぼの水路の泥すくいが集落で終日行われた。何年もの間、水路掃除に参加してこなかった方がひょっこり現れた。彼の中で何が変わったのかしれないが、大切なことに気づかれたとしたらこんなうれしいことはない。

 野良やまきストーブで火をたくことは多く、思わずじっと見入ってしまう時がある。火は一瞬でゆらゆらと立ち上がり、消えては継ぎ目なく次の火が燃え上がっていく。

 木や葉っぱという炭素などに熱が加わることで火という現象が起こる。火とはいったいなんだろうか、と考える。燃えている時、火は確かにそこにあるが、手応えのあるものは無い。ただ光と熱があるだけだ。一つの火がもしも100年間燃え立ち上がるものと仮定したら、人間も火と同じ現象の一つではないかと思った。川の水も確かにそこにあるが、流れ消えていく。

 だとすると大切なのは、火は火としてどうあるか、水は水としてどうあるか。一人の人も人としてどうあるか。くすぶってないか、よどんでないか。

(養鶏農家・カフェ店主 小野寺睦)

このエントリーをはてなブックマークに追加