4年生の時、タブレット端末を使って学ぶ日香莉さん

「みんなと一緒」に西川登小を卒業する永石日香莉さん(中央)。右は6年間担任を務めた畑瀬真理子教諭、左は母の美恵子さん=武雄市の西川登小

 難病で多くの障害がある武雄市西川登町の永石日香莉さん(12)が22日、西川登小を卒業する。特別支援学校への入学を勧められたが、地元の学校を選んで6年。「みんなと一緒」の毎日はさまざまな挑戦につながった。立てるようになり、少し言葉も出るようになった。子どもたちも自然に接する中で多くのことを学んだ。学校に“育ち合い”が広がった。

 先天性の難病で視力や聴力が弱く、気管を切開しているため言葉は出せない。体は小さく、足が不自由で車いすが欠かせなかった。痰(たん)の吸引など医療行為も必要なため、特別支援学校への入学を勧められた。

 両親の正和さん(49)、美恵子さん(48)は「多くの人と交われる地元の学校に」と市教育委員会などに要望。医療行為のために家族が付き添うことなどを話し合い、西川登小への通学が決まった。

 担任の畑瀬真理子教諭とタブレット端末を使って話す学校生活が始まった。1年生の時は2人だけの授業が多かったが、2年生からは多くの授業でみんなと机を並べた。昼休みには学年に関係なく、子どもたちが部屋にやってきた。

 クラスメートは14人。体育では車いすを押して走り、ドッジボールでは盾になって守った。特別扱いしない支え合い。音を立てると「静かに」、よそ見していると「前向いて」と注意もした。「大人はすぐに手助けしてしまうが、子どもたちは日香莉ができる方法を探し、一緒に考えてくれた。勉強させられた」と母親の美恵子さん。

 そんな毎日が日香莉さんを変えていった。友達が歩き、走り回る姿に「私も歩く」と訴えた。足が内側に曲がって立てないはずだったのに、自力で立ち上がった。驚いた両親は足の手術に踏み切った。今は歩行器やペダルのない三輪車、車いすを使って走り回る。

 気管を切開し、のどで息をしているためリコーダーは吹けなかった。それでも練習を重ねて音が出せるようになった。口から息が出せたことで言葉の練習も始まった。「ありがとう」とゆっくり伝えることができるようになった。みんなのまねをして箸も使えるようになった。無理だと思っていたことが次々にできるようになった。

 市は3年生の時、医療行為ができる看護師の派遣を始めた。5年生からは週1回が2回に増え、母の美恵子さんの付き添いも減った。

 6年間担任として寄り添った畑瀬教諭は「通院の休みを除けばほぼ皆勤。体の動きも、知識も、心も、びっくりするほど成長した。周囲の子どもたちも自然にいろんなことを学んだ。学校全体での『育ち合い』だった」と振り返る。

 美恵子さんは「生まれた時に一生寝たきりと告げられた子が、本当に毎日を楽しんでいた。新型コロナウイルスで休校の時、家でも体操服に着替えて『みんなと一緒』だった」。

 日香莉さんは最も楽しかった思い出を「みんなと一緒の給食」と答えた。

 4月から地元の川登中に通う。学校は手洗い場や看護師や家族の待機室を備えた部屋を設けて迎える。日香莉さんの一番の楽しみは「みんなと一緒の制服を着ること」だ。

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