悩み事は一人で抱えずに相談しましょうとはよく言われ、実際に相談によって解決や軽減につながる例はたくさんあります。しかし、相談するということ自体が困難です。まして、相談して解決できることではなく、出自やセクシュアリティ、死にたいという思いなど、他者に理解されにくいことを自分の事実として抱える場合、打ち明けるのはさらに困難だと言えます。打ち明けられるか否かは受け入れてくれそうな人や雰囲気が必要で、環境やタイミングも大きな要素です。

 誰かに相談することは大事なことですが、打ち明けるのが良いことで、黙っておくのが悪いことという構図にしてはいけません。最近、打ち明けることを推奨しすぎてしまい、打ち明けるかどうか自体が苦悩の種であることが忘れられているようにも見えます。また、「打ち明けたのに理解されない」「打ち明けないから配慮のしようが無い」などの対立構図にもなりがちですが、これも打ち明けが前提であるために起こる問題です。そもそも、誰も何も打ち明けなかったとしても、様々な状況、環境にあるお互いです。当事者がいる場でだけ何かするということではなく、いろいろな人がいろいろな事を思い、悩んでいる可能性を常に考えていくことが配慮であると思います(言われたからやるのは対応)。

 子ども新聞では、自分の性別に違和感を持つ児童生徒が制服を選ぶことを例に挙げました。性自認に合わせた制服を選ぶことは、それによって自分の性自認が他人に知られることも意味するため、制度はあっても使いにくいという悩みになります。ただ、これは周囲の無理解が生む苦しみであり、私たち一人一人が「誰が何を着ても良い」という前提をきちんと共有することが大切です。その上で、自分のプライバシーを誰にどのような形で明かすかは自分で決めて良いということも大切にしましょう。

 他者に知られたくないことを誰かに打ち明けることをカムアウト(カミングアウト)と言いますが、知り得た情報を勝手に他者に明かすことをアウティングと言い、絶対にあってはなりません。自分に明かされたのだから大丈夫…ではないのです。どのような内容でも、誰にどのように明かすかは本人にのみ決定権があります。

(浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

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