鹿島市で見つかった吉村新兵衛のものと思われる家系図。上部に「新兵衛」の文字が見える

 佐賀県鹿島市浜町の会社員、吉村昌史(まさふみ)さん(43)が、「うれしの茶」の祖として知られる吉村新兵衛(1603~1657年)の末裔の一人であることが分かった。代々伝わる家系図に「新兵衛」の文字は確認していたが、つながりは不明だった。今年1月、戸籍謄本を調べたら、家系図に書かれた名前と自分の先祖の名前が一致することに気付いた。

 新兵衛は佐賀藩士大串太郎右衛門の子として生まれ、後に吉村に姓を変えた。白石南部の庄屋を務め、嬉野周辺の警備の任を命じられた。そこで嬉野の不動山で茶園開拓に貢献したとされる。不動山では新兵衛をしのぶ祭りが現在も開かれ、吉村姓の子孫も参加している。

 家系図は長年、祖父が生まれた近くの本家で保管されていた。15年前に昌史さんの父へ渡り、その後に譲り受けた。家系図には破れた箇所や染みも見られるが、「太郎右衛門」「新兵衛」といった人名などが書かれている。

 江戸末期の記述までで、昌史さんは「新兵衛」とのつながりに確信を持てなかった。10年前から新兵衛や地域の歴史について調べ始めた。鹿島市民図書館には、この家系図と同様の内容が記された「吉村氏系譜」(1801年)が保管されているという。

 「自分とのつながりを知って本当に驚いた」と昌史さん。最期は初代藩主・鍋島勝茂が亡くなった際に追腹を切ったとされる。先祖のことを子どもたちに伝えると、長男の光聖(こうせい)君(8)は「新兵衛は生きていたら400歳以上だね」と目を丸くしたという。

 新兵衛はバテレン(キリスト教宣教師)だったと記す資料もある。昌史さんは「当時はキリシタンへの弾圧が厳しく、もし処罰されていたら、子孫の命は途絶えていただろう。命のつながりは不思議」といにしえに思いをはせた。(松田美紀)

 ※佐賀新聞「こちら さがS編集局」(こちさが)に情報が寄せられ、取材しました。

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