原町千仏堂内の大師像(左)と千手観音像(右)

 江戸時代も終わりに近い天保4(1833)年、対馬藩田代領内に、現世のご利益と来世の救いを求めて「四国八十八ヶ所霊場」が勧請されています。田代代官所の記録にも「当御領中へ四国大師仏地の場所へ安置したい」旨の願いが出され、代官所から許可が出ています。

 最近は見かけることも少なくなりましたが、昭和の頃には多くの人々が4月と10月に「どろどろ参り」と称して地蔵堂や観音堂を巡っていました。

 鳥栖市原町にはその信者が多かったのか、7カ所ものお堂があり、そのうち3カ所に天保4年の仏像が安置されています。

 原町千仏堂内にはその名の通り、たくさんの仏像がありますが、その一角に「弘法大師」と「千手観音」のお堂があります。観音像の後背には「千手・四十三番・明石寺」と刻まれています。千手観音は手が多くあることで、あらゆる人々を漏らさず救うとされています。(『鳥栖市誌第5巻』参考)(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬禎博)

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