保育士として保育支援に携わった岩手県山田町の写真を見て、10年前を振り返る鶴田さゆりさん=佐賀県庁

当時担任をしていた子どもたちと一緒に撮った写真。鶴田さんは後列の右から3人目(本人提供)

 「また子どもたちと、あの時と同じ写真を撮りたい」。2011年3月11日に発生した東日本大震災で、被災地の保育支援に携わった佐賀県職員の鶴田さゆりさん(37)=佐賀市。思い出の写真を眺め、小学校の卒業シーズンを迎えた教え子たちに思いをはせた。

 震災が発生した時、鶴田さんは国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊の活動で中国の幼稚園にいた。「日本にいなかったので、本当の意味で震災を理解できていなかった。無力だった」。それでも、自分にできることがあると考え「支援に行かないという選択肢はなかった」と振り返る。

 帰国前日、岩手県山田町で「子育て支援センター」の再立ち上げに向けた保育士の募集を知り、すぐに応募した。震災から半年以上が経過した11年11月ごろ、被災地に入った。

 津波で倒れた堤防、内陸に流された船…。想像を超える被害の大きさを目の当たりにした。そんな中でも、地元復興に強い思いを持って汗を流す若者たちの姿に胸を打たれた。

 「サンタさんが困ったらどうしよう」。家を流され泣いていた子と一緒に地図を作った。津波で母親を亡くし、お昼寝中にうなされる園児にも、静かに寄り添った。さまざまな事情を抱える子どもたちと向き合いながら、鶴田さんは1年7カ月、山田町の2カ所で保育支援に携わった。

 佐賀に戻る際「家を建てるから見に来て」などと声を掛けられた。震災から10年。現地に行くことはかなっていないが、今でも会員制交流サイト(SNS)などで連絡を取り続ける。

 「意識的に岩手を感じられるように」と、山田町で関わった人々からもらった贈り物は自宅に飾っている。その中に、現地で携わった保育園の園児や保護者たちとの写真がある。

 当時担任をしていた教え子たちは、この春、小学校を卒業する。それに合わせて現地訪問を考えたが、新型コロナウイルスの影響で断念せざるを得なかった。「いつか同じ場所、同じメンバー、同じポーズで写真を撮ることが私の夢」。そんな日が来ることを心待ちにしている。(小部亮介)

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