ひと月、半年、1年、3年、5年…。記憶を呼び戻す「節目」がある。長崎の歌人竹山広さんは被爆50年にこんな一首を残した。〈一分ときめてぬか佇(ふ)す黙祷(もくとう)の「終り」といへばみな終るなり〉。歳月とともに、心寄せるときは次第に間遠になる。人びとの祈りは「その日」で終わる◆廃炉が進む福島第1原発では、溶け落ちた燃料棒を冷やし続けるための注水や、建屋に流れ込む雨、地下水など大量の汚染水が日々発生している。そこから大方の放射性物質を取り除いた処理水は処分方法が決まらないまま、巨大なタンクにためられ敷地を埋めつつある◆政府は海に流す方針だが、そうなれば新たな風評被害を招きかねない。福島県いわき市の漁師新妻竹彦さん(59)は「賛成か反対か聞かれたら、絶対反対に決まってる。でももう、そんな論議にオレらを巻き込まねぇでほしい」と言う◆事故後、操業自粛を強いられながら、地道に福島沖の水産物の信頼回復を重ねてきた。それなのに、もし処理水が海に流されれば、漁業者が妥協したからだと責められる。新妻さんは嘆いた。「原発が更地になるまで風評被害はなくならない」。終わりのない「被災」である◆いまだ区切りのつかないものと向き合って暮らす人たちがいる。10年という歳月はいったい誰にとっての節目なのか、ふと考え込む。(桑)

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