佐賀県が復興支援で提供した船。ワカメの養殖で活用されている=宮城県気仙沼市

有田焼の陶板でできた東日本大震災の復興記念碑=宮城県気仙沼市

 東日本大震災で被災した全国有数の水産都市・宮城県気仙沼市。間もなく収穫が始まるワカメ養殖で活躍している1隻の船がある。元々は佐賀県高等水産講習所(唐津市)の練習船だった「青雲丸」。県が復興支援で2012年に無償譲渡した。

 宮城県内では津波で9割の漁船が被害を受け、沿岸の造船所も被災した。震災からすぐにワカメの養殖を再開した気仙沼市の漁業者の菊地敏男さん(73)は「遠い佐賀から助けてもらい、船は今も現役で大事に使っている。いつか訪れて感謝の気持ちを伝えたい」と話す。

 毎春、菊地さんが収穫したワカメを、県内のボランティア団体の関係者らが購入する形で交流が続いている。仲介しているのは佐賀県防災士会の本山和文さん(62)。県職員だった11年に気仙沼市に派遣され、前浜地区の避難所運営に携わったのがきっかけで、菊地さんらとの縁が生まれた。

 ▽被災地と続く交流

 前浜地区では震災後、流失したコミュニティーセンターの再建と合わせ、「千年に1度」とされた津波など災害の記憶を次の世代に受け継ぐ方法も検討した。ボランティアで訪れていた本山さんは「『千年先の子どもたちに伝えるためにはどうしたらいいか』という話から、半永久的に残せる陶板のメモリアル碑を建てることになった」と振り返る。指名されたのは被災地でも知られる有田焼だった。

 本山さんは、防災士会にメモリアル碑建立のプロジェクトを立ち上げて県内で協力を呼び掛けた。西松浦郡有田町の町職員や窯元関係者らから続々と建立費の募金が集まった。完成した有田焼の陶板は1枚当たり30センチ四方の全9枚で、被災地の住民が津波の恐怖や悲しみ、復興への願いを詠んだ3首の短歌などが焼き付けられた。

 メモリアル碑は13年9月、前浜地区の復興のシンボルとなるコミュニティーセンターの落成と合わせて建立された。津波被害を免れた海が望める高台にあり、センターの再建に携わった畠山幸治さん(74)は「佐賀県をはじめ全国から多くの支援を受けながら復興の道を歩んでいる。メモリアル碑を建てるだけでなく、震災や防災の大切さを風化させないで後世にしっかり伝えていくことが大事になる」と話す。

 ▽「見つめ直す」

 震災から10年。本山さんは県内に残っている慰霊碑や遺構など災害遺産の調査を続けている。被災地で昭和三陸大津波(1933年)などの教訓を伝える石碑があることを知ったのがきっかけだった。これまで100カ所以上を確認している。

 「天災は忘れた頃に来る」「苦難を克服して再起した」。本山さんは大水害などに襲われた先人が刻んだ碑文に目を凝らし、記録している。「地域の災害を今に伝えている。埋もれている災害遺産を見つめ直すことで、防災や命を守ることにつながる」。県内でも災害の記憶が未来に伝わることを信じている。(山本礼史)=おわり

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