発掘調査で出土した大量の石炭

石炭をノミで割った痕

 三重津海軍所の発掘調査では、蒸気船燃料に保管していたと思われる大量の石炭が出土しました。蒸気船燃料として石炭を取り扱った文献は、武雄市北方町の大副山山元(採掘請元)であった稗田家の文書に残っており、佐賀藩で蒸気船を管轄する「海軍方」への納入と、蒸気船「電流丸」などへの積み込みが行われたようです。

 また、諫早家文書の「日記」から、佐賀藩が蒸気船用石炭に「大塊」(大片)の「上石炭」を条件に購入していたことが分かります。出土した石炭は大片(16~40センチ)、中片(10~15センチ)、小片(5~10センチ)に分類でき、大片にはノミで割った痕が残り、接合するものもみられます。文献に記されたように、三重津海軍所には大塊で持ち込み、その後一定の大きさ(中、小片)に砕いていたと考えています。

 当時は石炭を粉炭で採掘して露天で保管していたため、雨天にさらされると途端に劣化して蒸気船燃料としての品質が保持できませんでした。このため、内部の劣化が進んでいない大塊を指定して納入させていたのではないでしょうか。高価な蒸気船ボイラーを傷めないための工夫であったと思われます。

 このような細やかな工夫の集積があって初めて蒸気船を安定的に運用することが可能になったと思われます。(佐賀市教育委員会文化振興課・中野充)

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