無地唐津山盃(矢野直人作)
皮鯨筒盃(吉野敬子作)
斑唐津筒盃(梶原靖元作)

左から矢野直人作の無地唐津山盃、吉野敬子作の皮鯨筒盃、梶原靖元作の斑唐津筒盃

 6年前の春、私は唐津にある「ギャラリー魚や町」の席にいた。昼間、トークショーをさせていただいた後、その場を宴会会場にしつらえ直し、次々と来訪者が押し寄せて、あっという間に大宴会になった。土地の酒や料理が振る舞われ、古い田舎屋の様な雰囲気と相まって、初めて訪れた唐津の土地であったにもかかわらず、懐かしさが込み上げてきた。

 隣の席には、十四代中里太郎右衛門氏に座っていただき、唐津の焼き物の魅力について、いろいろとお話を伺っていた。しばらくして、ふと十四代の手元を見ると、盃が入れ替わっている。横目で見ると、無地唐津の筒型で、いかにも手に収まり易(やす)そうな、楚々(そそ)とした趣があった。

見込

 

高台

 

 「あれ? それは?」と十四代に聞くと、「あぁ、これね、これ、彼が作りました」と私の右隣に座っている若者を指さした。身を乗り出して顔を見ると、いかにも実直そうな面持ちで、こちらを見てニコニコしている。正直、驚いた。盃を手に取り、まじまじと見たわけではないが、桃山の本歌だろうと思っていたのである。

 人物でも品物でも「佇(たたず)まい」というものがあるだろう。桃山の唐津は派手ではなく、能弁でもない。しかし、付き合うほどに、物と使い手の間に信頼関係が生まれる。それが唐津陶の魅力に繋(つな)がる事に違いはないのだが、私は、その若手陶芸家が作った盃に、桃山の「佇まい」を感じたのである。

 カルチャーショックだった。以前、80年代のバブル期に、いくつか唐津の新陶を買って使ってはみたが、どれも意にそぐわなかった。売ろうとして作った釉の流れや歪(いびつ)な形姿は、見所ではなく、やがて嫌みに思えてくるのである。そこへ行くと、この盃は、いたって自己主張というものがない。形も釉も自然まかせで、パッと目に付く見所がない。にもかかわらず、じわじわ感じる桃山陶の実直な趣は、新陶では初めて感じた出来事だった。

 「値段は?」と聞くと「8千円」だと言う。隣の十四代に断り、その場で分けてもらったのは言うまでもないが、私は、その日、唐津の新陶に開眼した。たった今まで骨董(こっとう)にこだわってきたが、桃山の息吹が1万円足らずで買えるのである。そう思うと、私の心も急に風通しが良くなった。以来、東京で、彼らと彼らの作品を紹介すべく、窯場を訪れ、作品を買っていった。

 80年代の唐津の新作も、今の唐津の新作にも、作者の思いは遠いいにしえの桃山陶への憧憬(しょうけい)から成り立っているに違いない。違いはないが意識の違いは大きくかけ離れている。その差が何なのか。今、ここで結論は出ないが、それが作られた時代の空気感に依(よ)るものなのだろうか。

 最後になるが、今回紹介する盃は、右が梶原靖元作、斑唐津立ちぐい呑(の)み。中央が吉野敬子作、皮鯨筒盃、左は矢野直人作、唐津山盃(敬称略)。たまたま手元にあった3点を写真に収めたが、この作者たち以外、後続を含めて次々と現れる新作を世に出している。

 「温故知新」とは、この事を言うのだろうか。
 


かつみ・みつお 1958年、東京・新橋で古美術商を営む家に生まれる。10代から西洋骨董(こっとう)に目覚め、大学卒業後、10年間、西洋骨董店で修業。その後、古美術「自在屋」4代目を継承。東京・渋谷区の自宅に店を構える。著書に『骨董自在ナリ』(筑摩書房)など多数。

解説

 今回の勝見さんは、古唐津ではなく、現代陶唐津焼の作家さんについて綴っておられます。文中で触れられている6年前のGW唐津行。「唐津やきもん祭り」のトークイベントに参加するため、飛行機が苦手な勝見さんを無理やりお誘いしたのが昨日の事のようです。好天に恵まれ、薫風が心地よい日でホテルに荷を置くや否や、魚屋町へ。造り酒屋跡に設(しつら)えられた角打で、唐津焼作家たちが地酒を自身の盃で供するという粋なイベントに参戦し、私たちは大いに昼酒を楽しみました。町中が唐津焼で溢れるやきもん祭りではそこかしこに作家が店をひらいて販売していましたが、勝見さんは一つ一つのお店を丁寧にめぐり、作家さんと言葉を交わし、両手いっぱいに酒器を購入していた姿が強く印象に残っています。以来勝見さんは唐津行を重ね、作家たちとの誼を深め、コラボレーションなども行っておられます。

 今回名前の挙がった3人の唐津焼作家~梶原靖元さん、吉野敬子さん、矢野直人さんはいずれも主として作陶に用いる陶土を砂岩から生成している方々です。今では「古唐津は砂岩から」が定説となっていますが2000年代初頭まで唐津焼は山などで採土してきた、いわゆる粘土と呼ばれるものを作陶に使用しており、古唐津も同じ製法と考えられていました。吉野敬子さんの父である故 吉野靖義(魁)さんや梶原靖元さんがそれぞれ独自に古唐津や朝鮮半島の陶磁器を研究し、砂岩から陶土を生成、作陶する説を提唱、実践し、定説と為し得ました。個人的にこのアクションは「現代陶唐津焼の革命」である、と思っています。自説を貫いたお2人の行動に尊敬の念を禁じ得ません。定説に至る過程で多くの誹謗中傷があったであろうことは容易に想像できます。そんな苦難がありながらも古唐津に真正面から向き合い、研鑽を重ねた彼らのひたむきさにより「現代陶唐津焼」は「古唐津」に近づいたのです。

 さて、その3人の作家さんについて綴っていきましょう。
独自の世界観で唐津焼シーンを牽引している梶原靖元さん。岸岳6古窯の一つ、大谷古窯にほど近い岸岳麓佐里に「大谷陶房 飯洞甕窯」を構えておられます。古唐津のルーツである朝鮮半島と頻繁に交流し、製法、陶技研究を重ね生み出される作品は古唐津を範としながらも「梶原ワールド」としか表現しえない、豪放さと緻密さが併存し、触れるものを魅了します。本紙でご紹介されている斑唐津の盃も、呑兵衛さんである梶原さんならではの作品。手取りがよく、ひょうげた形、見どころである火間がお酒を誘い、裏返せばスピード感のある高台がなんともかっこよいものです。

 古唐津砂岩説を提唱した故 吉野靖義さんを父に持つ吉野敬子さんは奥唐津、櫨の谷に窯を構えておられます。古唐津を産した「櫨の谷窯」が在った美しい谷戸にある瀟洒(しょうしゃ)な葦葺屋根が目印です。父の技法を昇華させた敬子さんの作品は生活実用性に富み、かつ、そこかしこに桃山が息づいているように感じます(窯はcafé REEDを併設、そこで供されるスペシャリティコーヒーは本当に素晴らしい!)。勝見さんに見初められた皮鯨筒盃の見どころは小深くとろんとした釉調の見込み。これは間違いなく呑兵衛さん好み!個人的にこの盃は先代靖義さんと当代敬子さんが素敵なハーモニーを奏でているようで感動を覚えます。

写真:斑皮鯨波縁皿 陶片(岸岳外系 櫨の谷古窯 発掘)

 2003年、ここを訪れた際に敬子さんにいただいたのが前掲の陶片。「私たちはこれを目指しているんです」と力強くおっしゃったことが脳裏に焼き付いています。その言の通り、彼女は父のDNAをしっかりと受け継ぎながら強く前進されています。蛇足ながら…この陶片をいただいたことが私が古唐津に目覚めるきっかけとなった、ということも記しておきます。

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 豊臣秀吉が朝鮮半島侵攻の拠点とした肥前名護屋、鎮西町殿山に窯を構える矢野直人さん(同地は文禄慶長の役当時、唐津城を築き、唐津焼を全国にひろめた茶人武将、寺沢広高の陣跡)。古唐津をリスペクトし、創造される作品群は骨董好きの琴線を揺さぶるエッセンスに溢れています。勝見さんが採りあげた山盃のような造形はシンプルが故に技量を問われますが、まさに桃山の陶工を思わせるスキルに筆者は驚きを隠せません。アメリカ留学経験のある、その異色の経歴や高いコミュニケーション能力を有した矢野さんは今後の現代陶唐津焼を更なるレベルに高める人材といって過言ではないでしょう。

 現代陶唐津焼の強み…それは担い手の若さ、層の厚さ、そしてモチベーションの高さにあります。作陶家たちは例外なく研究熱心で古唐津への深く思いを寄せています。東京をはじめ他地域から唐津焼に魅せられ、この地に移り住む作陶家が多いことも特筆事項。それらをもってしても他の窯業地より頭一つも二つも抜きんでているように思えます。

 実用性とスキルフルな造形で多くのファンを持つ、厳木浪瀬峠に浪瀬窯を構える竹花正弘さん。黒唐津への拘(こだわ)りが多くのファンを惹きつける浜玉町由紀子窯の土屋由紀子さん。DINING OUTでのコラボレーションも記憶に新しい同じく浜玉町健太郎窯の村山健太郎さん。また有田町小物成窯の山本亮平さんは現代工芸界で高い評価を受けています。さらに次世代を担う田中孝太さんや石井義久さんなど例を挙げれば枚挙にいとまがありません。機会があればぜひ窯元を訪れ、作家と言葉を交わし、作品に触れてほしいと思います。

 「温故知新というのだろうか」と勝見さんは結んでいますが、まさにその通りだと思います。古唐津を学び、基本はなんであるかを理解し、新たな創造により魅力をまとって拡散していく現代陶唐津焼。僕はこのやきもんの良さを一人でも多くの人々に知って、使ってほしい、と思ってやまないのです。

(解説・写真 村多正俊)

サカズキノ國
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