派遣された石巻市役所で被災者支援の業務にあたる宮﨑勝正さん

 「大きな防潮堤ができ、最近も新しい施設が完成した。道路は今も整備されていて、ハード面では復興が進んだと思う。でも、被災者はどうだろう。『被災者さま』のままではいけないと思う人、そう思いながらも立ち上がれない人。温度差は感じる」

 嬉野市から宮城県石巻市に派遣されて6年。佐賀県内の自治体から東日本大震災の被災地に派遣されている唯一の職員、宮﨑勝正さん(63)は自問する。「そもそも復興とは何か」―。

 ▽負担軽くしたい

 6年前、早期退職を申し出た。「辞めるなどと言わず、東北の被災地に行ってみないか」。市長や上司から打診された。石巻市の「仮設住宅の維持管理」という仕事を見て、自分にもできる思いがした。15年5月に赴任、生活再建支援課に配属された。

 仮設住宅を訪ね、要望や苦情を聞く仕事が始まった。震災から4年がたっていたが、市内約130カ所ある住宅に1万人近い人たちが暮らしていた。「草刈りをしてほしい」「隣人がうるさい」。さまざまな求めに応じた。

 2年ほどすると、仮設住宅の集約と解体が本格化した。仮設住宅に土地を提供した地権者に土地を戻す調整も仕事に加わった。昨年1月、仮設住宅から被災者全員の退去が終わった。今は災害援護資金の返済が滞る被災者に、返済を促す業務に当たっている。

 被災者の声に耳を傾ける日々。「それくらいは自分で」と思うことや、理不尽な要望もある。ただ、できるだけ応えようと苦労する。「私の役目は地元職員の負担をできるだけ軽くすること。トラブルになってはいけない」と思うからだ。

 被災者の心の傷にも思いが及ぶ。「偶然見ていたテレビで、知人が震災で家族を亡くしていたことを知った。普段は元気でみんなのまとめ役になっている人。被災者は私が知らないつらい思いを抱えている。『頑張って』という言葉さえ、深い悲しみを呼び起こすことがある」

 ▽残れるものなら…

 東日本大震災が起きた11年、佐賀県内の全20市町が被災地に復興支援の職員を派遣した。ただ、翌年度は6市に減り、その後も減少。18年度は3市、19年度からは嬉野市だけになった。

 「震災から10年で、さまざまな業務が終息に向かっている」と石巻市人事課。115人いる全国からの派遣職員は4月以降、45人程度にまで減るという。

 そして宮﨑さんも任務を終える。同じ課には赴任した6年前、10人以上の派遣職員が在籍したが現在は3人。いずれも3月までだ。「今でも人が足りなくて面談ができず、電話や文書でのやり取りが中心になっている。残れるものなら残りたいが…」

 宮﨑さんは「被災地を見に来てほしい」と訴える。「いろんな場所に『震災当時と今』が分かる施設がある。それを見て『何か』を感じてほしい」。そして復興とは「誰も被災者だと言わなくなった時ではないか。まだまだ時間はかかる」と話した。(小野靖久)

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