「平日フェス」で係留した佐賀のバルーンの前に集まった砂子さん(手前右)や地元実行委のメンバーたち=2016年7月、宮城県仙台市

 震災から5日後、被災者は支援者になっていた。

 佐賀市東与賀町出身の砂子啓子さん(47)は、宮城県仙台市で被災した。東京電力福島第1原発事故の影響が読めず、不安が募った。避難生活3日目。幼児2人を連れ、実家に身を寄せたが、気持ちは落ち着かなかった。避難所の知人たちの顔が浮かんだ。

 ▽微妙な距離感

 「被災地にいない被災者だから、できることがあるはず」。3月16日に「i―くさのねプロジェクト」と名付けて行動を始めた。ホームページや新聞で物資と義援金を呼び掛けると、佐賀県民から続々と支援が集まった。

 半年後、仙台市に戻った。同じ市内でも被害の有無で、住民に微妙な距離感が生まれていた。物資より交流の必要性を感じた。小さな音楽イベントを開いている岡部ツイ子さん(当時63)を知り、訪ねた。

 「ここの出身者でもないあなたに何ができるの」。初対面は緊張が走った。砂子さんが振り返る。「きれいな格好をした政治家が、一時的に寄り添う姿を岡部さんは何度も見ていた。裏切られたくないという思いがあったのでは」。イベントを手伝うと、岡部さんから別れ際に声を掛けられた。「次もよろしく」

 2014年から仙台市で続く音楽イベントは砂子さんが実行委員長を務め、佐賀からバルーンを招いたこともある。岡部さんとの活動をきっかけに同志の輪が広がり、形になった。岡部さんは15年に67歳で亡くなった。10年という歳月は、かけがえのない出会いと別れも生んだ。

 現在でも、定期的に寄付金を振り込む人がいる。佐賀からのさりげない浄財が背中を押す。夫の転勤で16年春に東京に越した後も、月2回のペースで仙台市に通った。「地域や人との関係ができて、生活や人生の一部になっています。やめるとか続けるとか、そういうものではなくっています」と笑う。被災地にいない被災者だから、できることがある―。あの日の直感は、確信に変わっている。

 ▽息長い取り組み

 佐賀から被災したふるさとへの支援を続ける「宮城県人会さが」。結成は11年5月11日。震災2カ月後のことだった。

 代表の富田万里さん(57)=仙台市出身=は、震災直後に繰り返し見たふるさとの映像に衝撃を受けた。記憶の風景とは違う変わり果てた姿。「同じ思いをした人と協力し、力になればと思った」

 最初は支援物資の送り先の相談に乗るなど、土地勘を生かして宮城と佐賀をつないだ。県内のイベントに出店し、特産品の仙台麩やとろろ昆布などを販売。さが桜マラソンなどで募った義援金を送り続けている。この1年、新型コロナウイルス禍で活動はできなかったが、今年は13、14日のさが・ひな市に参加する。

 震災から10年がたち、風化させないために何ができるか自問自答する。会設立当初からの目標の「息の長い取り組み」へ向け、無理せず着実に歩を進める。(山口貴由、石黒孝)

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