天智天皇欽仰之碑=基山町小倉

 天皇聖徳顕彰碑の建立にあたっては、1930年の肥前史談会総会決定の前年秋から、会が現地踏査を行うなど事業方法の研究を進めていた。

 総会決定を受け「天智天皇奉賛銅柱建設会」を組織、総裁に佐賀県知事、会長に肥前史談会長、副会長に基山村長が推された。さらに史談会員のうち数人を実行委員とし貴族院議員、衆議院議員、県内の市町村長、小中学校長および各団体の代表者を賛助員、地方委員に委嘱して寄付金募集を始める。

 地元基山村では、基山委員として45人に委嘱された。うち天本龍之助、木原猪三郎、松隈来造、小森初蔵、久保山善映、飛松季善(1933年4月まで)、梁井幾太郎(1933年4月から)の7人は本部委員を兼務する。

 寄付金は一人につき1銭以上10銭までで、それ以上はお断りという珍しい募金で、多くの人が快く応じたという。

 史談会では当初、顕彰碑としてご銅像を希望していたが宮内省の内意が得られず、ご銅碑に変更の上、1932年6月10日、役員、関係者が現地で起工式を挙行した。

 建設経費は欽仰碑のほか休憩所、展望台を含めて6600円。工事に当たり基山小児童、青年団、在郷軍人会らが川砂、資材を運び上げるなど献身的に協力した。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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