有田に住み始めてからも車に「がんばろう ふくしま!」と書かれたステッカーを貼り続ける芝原静香さん。「いつまでも福島のことは忘れない」気持ちを込める=西松浦郡有田町

 産声を上げたのは3日後だった。東日本大震災の被災地の福島県いわき市で常盤裕子さん(37)は2011年3月14日、次男を出産した。自宅で起きた激しい揺れ、続く余震…。張り詰めた緊張感や不安も、子どもを抱いた時だけは忘れることができた。

 「クリニックは断水が続いて沐浴(もくよく)さえできず、2日間で退院せざるを得なかった」。ライフラインの寸断や物資不足で、帰宅後も安静にできないまま水や食料を求めて長い列に並ぶ日々。「こんな大変な時に生まれたから強い子に育つね」。友人から寄せられたメッセージに何度も勇気づけられた。

 原子炉の制御不能、周辺の放射能汚染―。次々と明らかになる東京電力福島第1原発事故の情報は、約50キロ離れたいわき市にも暗い影を落とす。目に見えない放射線の恐怖におびえ、当時1歳の長男を外出させないようにしていた。

 「福島を離れるかどうか毎日悩んだけど、子どもを守りたい一心だった。後悔だけはしたくなかった」。原発事故から4カ月後、約千キロ離れた佐賀県への自主避難を決めた。

 ▽喪失感に襲われ

 鳥栖市の雇用促進住宅に家族4人で避難した常盤さんは「手荷物だけで来たけれど、手厚いサポートを受けることができて、すぐに普段の生活を送ることができた」と振り返る。子どもが公園で遊ぶ姿に安心感を覚え、落ち着いた環境で育児ができた。

 被災したことを感じさせないような普通の暮らし。ただ、いわき市の両親や友人がふと頭をよぎり、当たり前だった故郷の日常が奪われた喪失感に襲われた。「福島に戻りたいと思うとつらくなるから、寂しさや心細さを胸にしまい込んできたんだと思う」。三男を出産した14年、夫の転勤で広島県へ転居した。

 鳥栖市で暮らしていた時に乳幼児だった3人の子どもも、次男がもうすぐ10歳になり、三男は小学校に入学する。夢中になって眺めていた鳥栖駅の電車の光景は今も子どもたちの記憶に残る。それでも「いつの日か安心して家族で福島に帰る日が来ることをずっと願っている」。

 ▽佐賀から応援

 震災や原発事故によって生活が一変した避難者たち。故郷への思いを抱えつつ、被災地から離れた生活が定着するなどそれぞれの人生を歩んできた。

 神埼市出身の芝原静香さん(48)は、夫の仕事の都合で移り住んだ福島県白河市で被災した。12年の夏に転勤で西松浦郡有田町に引っ越した後も被災地の友人と連絡を取り続ける。「10年がたち、福島を離れた人、残った人、それぞれの暮らしぶりは落ち着いたように見える」と話す。

 被災地から離れて8年半。今も車には福島県の地形や「がんばろう ふくしま!」と書かれたステッカーを貼っている。「福島をずっと忘れない、佐賀から応援している」。同じ震災を経験した被災者を思い続けている。(山本礼史、石黒孝)

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