A-PADジャパンのキャンピングトレーラーを点検する菅名紀之さん=鳥栖市の佐賀競馬駐車場

 大きな被害がないことを祈りながら電話をかけ続けた。2月13日深夜、福島沖を震源に福島、宮城両県を最大震度6強の地震が襲った。10年前、東北地方に未曽有の被害をもたらした東日本大震災の余震だった。

 「この時期だからね。どうしても3・11のことが頭をよぎった」。災害復興を支援するNPO法人アジアパシフィックアライアンス・ジャパン(A―PADジャパン)の業務を担う佐賀市の菅名紀之さん(47)は、佐賀事務所で現地の情報収集に当たった。

 ▽波打つ道路

 菅名さんは、勇壮な「相馬野馬追(のまおい)」で知られる福島県相馬市出身。結婚後、妻の早苗さん(43)と当時1歳の娘と3人、同県田村市で暮らしていた。

 2011年3月11日、勤めていた牧場で経験したことのない揺れに襲われた。雪が舞う中で懸命に家路を急いだが、道路は波打つように隆起し、至る所で崩れていた。普段は車で20分ほどの道のりを、1時間以上かけて自宅にたどり着いた。幸い家族は無事だった。

 震災直後、勤め先の閉鎖が決まる。「何より、早く生活の基盤をつくりたかった」。東京電力福島第1原発事故の影響も気掛かりで、転居先を探した。

 佐賀県は震災直後、いち早く「被災者3万人受け入れ」を表明した。公営住宅の無償貸与をはじめ家財道具と衣類の提供や相談受け付けなどの態勢を整えた。充実した支援内容はインターネットを通じて被災地にも浸透した。菅名さんは佐賀県への移住を決め、4月末から一家で佐賀市に住み始めた。

 ▽自らハンドル

 県はこれまでに、避難者198世帯514人を受け入れた。最も多かったのは11年8月の125世帯321人。現在も福島県の19世帯44人をはじめ、38世帯97人が暮らす(2月8日時点)。就労支援も行い、菅名さんも県内に住み始めた直後、県に紹介された苗木の栽培会社で働いた。

 菅名さんは今、A―PADジャパンと業務委託契約を結んでいる。被災地で医療関係者の控室になるキャンピングトレーラーなど、車両の運行管理や整備を任されている。自らハンドルを握り、救援物資を積み込んだ大型トラックで被災地に向かうことも多い。

 きっかけは16年4月の熊本地震だった。知人から支援物資を運ぶドライバーを探していると聞き、手を挙げた。福島時代に配送の仕事をしており、運転には慣れていた。「佐賀でお世話になった人の紹介。自分にできることなら手伝おうと思った」。現地に泊まり込み、避難所の設営や運営を約半年手伝った。

 ▽佐賀弁も覚え

 自然災害の多さを物語るように、毎年出動が続く。佐賀豪雨をはじめ、北海道の胆振東部地震や西日本豪雨など、さまざまな現場を経験した。「自分も被災者だから被災者を手助けしたいなんて、そんなかっこいいことは考えていないよ」と笑う。「現場で考え臨機応変に対応することが必要になる。そんな仕事が性に合っているみたい」

 佐賀に住み始めて10年。ノリ漁のアルバイトで佐賀弁を覚え、夏の蒸し暑さにも慣れた。それでも「死ぬときは福島で死にたいね」。生まれ育った土地への思いは消えない。(石黒孝)

   ◇    ◇

 東京電力福島第1原発事故を引き起こした東日本大震災から、11日で10年になる。避難者や支援に携わった人たちを訪ね、それぞれの歩みたどり震災の教訓を探る。6回を予定。(次回から社会面に掲載)

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