背中には表情がある。楽しそうに揺れているときもあれば、さびしげにたたずんで見えるときもある。不思議に感情が伝わる◆山あいの農村で、主婦たちが「からだほぐし」の教室を開いていた。手伝いに訪れた演出家の竹内敏晴さんは、隅で一人、からだを固くして座っている女性を見かけた。ひどく苦しそうなので横になるよう声をかけ、背中にてのひらを当ててみた。〈ざらざらの、涸(か)れ果てた川床のような、冷え切った感じが、腹までしみてくるようだった〉。人の背中がこれほど荒れ果てるものかと驚いたという◆5、6人に手伝ってもらい、その背中に手を当てた。みな、彼女が嫁いできてからの苦労を知る人たちだった。日が暮れかかるまで、そうして手で温めていると、彼女は静かに泣きはじめた。やがて泣きやんだとき、背中はわずかなやわらかさを取り戻していた(『癒える力』)◆長引くコロナ禍で私たちの体もこわばり、悲鳴を上げている。外出できないストレス、失業や経営難…。昨年、自ら命を絶った人が11年ぶりに増加に転じたという。人と人とが遠ざけられ、SOSさえ届かない◆つながりの薄れた社会はもろいものである。今月は自殺対策強化月間。温もりの通った手をそっと差し伸べる隣人でありたい。冷たくなった背中に、誰も自分では手が届かないのだから。(桑)

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