1854年、安政南海地震が起き、和歌山県広村(現広川町)を大津波が襲う。この時、村の高台に住んでいた実業家の浜口梧陵(ごりょう)(1820~85年)が、収穫を終えた私有田の稲わらに次々に火をつけ、避難する村人を誘導した。暗闇の中にともる明かりに、村人たちはどれだけ勇気づけられただろう。「稲むらの火」として今も語り継がれている◆一方、こちらの火は深夜も燃えさかり、状況は深刻だ。栃木県足利市で発生した山火事である。きのうで5日目。乾燥と折からの強風で燃え広がり、鎮火の見通しがたたない◆火は、人類が進化を遂げる中で手に入れた大切な道具の一つ。暖をとり、野生動物から身を守り、料理にも活用した。ただ、火を扱うことは難しく、火の不始末は時に災禍をもたらす。山火事の原因は分からないが、まさに「対岸の火事」とせず、火の用心を肝に銘じよう◆浜口梧陵は偉い人で、地震の後、私財を投じて村に防波堤を築く。職を失った村人に工事の賃金を払って生計を助けた。後年、伊東玄朴が江戸に開設した種痘所が焼失した際は多額の寄付で再建に協力した。今話題の接待問題と違い、お金を生かす道をよく知っている◆梧陵のような多額は難しいが、「貧者の一灯」という言葉もある。小さくても心に希望をともす明かりなら、どんどん広がってほしい。(義)

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