東京五輪の開幕まで5カ月を切った。新型コロナウイルスの収束が見えない中、無事に開催できるか。「安全・安心」の確保が大前提だが、国民の機運の盛り上がりも不可欠。「スポーツ」の意義、五輪の在り方をどう考えるか、根本的な問題が問われている。

 「スポーツ」の語源を調べると、「desport(デスポール)」という言葉が出てくる。その意味は「楽しみ」「遊び」「気晴らし」。スポーツはもともと遊びの要素が強かったが、ルールを設け、勝敗をつけるようになった。人間には「闘争本能」があり、それを満たすため、実際に傷つけ合わない形でスポーツが発展した、とも解釈できる。五輪が「平和の祭典」といわれるのも、文字通りそういう見方があるからだろう。

 無益な争いは不要だが、競争自体は悪いことではない。互いの良さを認め、ルールに基づいて勝負する。その結果、一人一人の能力が伸びれば、社会にとっても有益だ。音楽や絵画などの芸術は人の心を豊かにし、安らぎを与えてくれるが、スポーツは人に生きる活力を与えてくれると感じる。

 スポーツは勝敗が重視されがちだが、勝者しかスポーツを楽しめないのかといったら、そうではない。敗者が努力を重ね、次は勝とうとすることに意義があり、その過程に楽しみもある。

 一方で、「行き過ぎた勝利至上主義」がスポーツや五輪本来の意義をゆがめてきた面はあり、検証が必要だ。注目度が高まるほど商業主義に傾き、選手に勝利ばかりを求める。人は失敗する生き物なのに、失敗を認めない傾向が強まる。その結果、選手に過度の重圧を与えてしまう。

 この一年、東京五輪に限らず、さまざまなスポーツ大会が延期や中止、変更を余儀なくされた。思ったことは、スポーツの意義をもう一度見つめ直す必要があるのではないかということだ。

 佐賀県は決して大きな県ではないが、サッカーのサガン鳥栖、バレーボールの久光スプリングス、ハンドボールのトヨタ紡織九州レッドトルネード、バスケットボールの佐賀バルーナーズと、国内トップレベルで活躍するチームが多い。勝利はもちろんうれしいが、負けたからといって選手を責める人は少ないだろう。ファンが見ているのは「全力を尽くしたか」ということであり、ひたむきなプレーに力をもらう機会が身近にあることは、とても幸せなことだ。

 ほとんどのスポーツは、一瞬のうちに勝負がきまる。選手はその一瞬に全力を尽くせるよう準備する。4年に1度の五輪は、その準備の長さを思うだけで大変である。だからこそ機運を盛り上げ、知恵を出し合い、東京五輪の成功につなげたいと思う。

 もちろん、スポーツへの関心が薄い人はいる。「五輪より安全が大事」と思う人も多いだろう。ただ、自分とは異なる価値観を全く受け入れないのではなく、理解しようとする姿勢は、この問題に限らず必要なことだ。

 五輪は人々が一つにまとまる絶好の機会。開催までの課題を関係者だけの問題ととらえず、自分にも何かできないか考えてみたい。各競技にかけるアスリートの思いに寄り添い、スポーツの意義を改めて考えることは、その一つではないだろうか。(中島義彦)

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