廃炉作業が進む福島第1原発の北隣に「東日本大震災・原子力災害伝承館」がある。ここで活動する語り部の一人、青木淑子さんが見せてくれたのは一枚の写真だった。車の列が道路の果てまで続いている。10年前の3月12日朝、原発事故で避難指示が出された富岡町から住民たちが逃げ出す光景という◆「この時、みんなが同じことを思ってた。『すぐに帰れる』って」。だから大事なものは全部、家に置いてきた。防災訓練を繰り返し、いくつも非常持ち出し袋を作ったのに何ひとつ持ってこなかった…。そんな住民たちが故郷に戻れるようになったのは、写真が撮られて6年後のことだった◆人のいとなみとは無関係に災厄は襲ってくる。「でも本当に大切なものは、持って逃げることはできない」と青木さん。家、土地、田んぼ、家畜、学校、職場、仲間。復興とは失ったものを必死に取り戻そうとする歳月だったろう◆福島、宮城両県を再び大地震が襲った。10年たっても収まらない余震は、被災地を置き去りに進む記憶の風化に警鐘を鳴らしているようでもある◆〈これはいつかあったこと/これはいつかあること/だからよく記憶すること/だから繰り返し記憶すること/このさき/わたしたちが生きのびるために〉。阪神大震災で被災した詩人安水稔和さんの一編を、苦く思い返す。(桑)

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