衆院予算委員会は来年度予算審議の序盤を終えた。菅義偉首相は、放送事業会社勤務の長男が放送行政を所管する総務省幹部らを接待した問題で「民間人、別人格」と突っぱねるなど、中身の議論から逃げる姿勢を繰り返した。

 首相就任前の8年近い官房長官時代は「詳細は承知しない」「問題ない」で押し通し、ぶれない姿勢をアピールした。だが首相にこのスタイルは許されない。野党と四つに組む議論抜きでは、国民への説明責任を果たすことはできない。

 接待された総務省幹部4人のうちの1人は、費用を払わずに会食してタクシー代も提供され、後に返金したと述べたが、金額は答えなかった。首相は放送事業会社社長が同郷の支援者だと認めたものの、それと長男の接待を「結び付けるのはおかしい」と反発。「長男や家族にも名誉やプライバシーがある」と総務省が調査中であることを盾に事実の確認を拒んだ。

 国権の最高機関より行政の内部調査が優先される道理などないはずだ。

 首相は総務副大臣、総務相を歴任し総務省に強い影響力を持つ。長男は総務相当時の政務秘書官だ。国民が疑念を抱くのは、首相自身を含む「政官業の癒着」ではないかという点だ。首相にはその自覚はあるのか。

 首相は「改革実行には更迭も辞さない」と人事権を振りかざし官僚を従わせてきた。この「恐怖支配」ゆえに官僚は、言われなくても首相の歓心を買うよう忖度そんたくを働かせる。首相は否定しても、官僚は長男と首相の威光を「結び付け」て接待に応じたに違いない。そうさせた原因は首相の政治手法にあるではないか。

 森友・加計学園問題の悪しき前例を繰り返さないためにも、自らの責任を重く受け止め、事実解明に積極協力すべきだ。

 首相は官房長官時代を合わせ8年以上官邸に君臨する。本人がいかに身を律しても、権力者周辺が「役得」のおこぼれに預かる魅力にあらがえない例は古今東西枚挙にいとまがない。「腐敗防止」のため権力者は、親族の行動まで律する義務があると考えるべきだ。

 政治責任を回避する首相の姿勢が目立った場面は他にもある。新型コロナウイルス対策のスマートフォン向け接触確認アプリ「COCOA(ココア)」が情報通知できない障害を国が4カ月放置した問題もそうだった。

 昨年9月の基本ソフト(OS)更新で3割の利用者に「濃厚接触」の通知が届かなくなり、障害確認は年明けになった。政府は国民に利用を再三呼び掛けながら責任を持った管理を怠り、開発、メンテナンスを業者任せにしていたのが原因だ。

 首相は「大変申し訳ない」と陳謝したが、自身に責任が及ぶ閣僚処分などは否定。通知停止により救える命も救えなかった例があるかもしれない。首相や閣僚は重大性の認識が欠けていないか。官僚を指揮し政府の管理体制を固めるのは当然政治の責任のはずだ。

 議論の入り口で防御を固める姿勢は、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視発言を巡っても際立った。首相は当初「詳細は承知しない」で通したが、世論の反発が高まり「あってはならない」「(国益に)芳しくない」と徐々に森氏をかばえなくなった。国会の先には国民がいる。首相はその認識で答弁すべきだ。(共同通信・古口健二)

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