蒸気船雛形(外輪船)=公益財団法人鍋島報效会所蔵

 佐賀藩は1852(嘉永5)年、佐賀郡高岸村(現在の佐賀市多布施)に精煉方(せいれんかた)を設置しました。これは、蘭(らん)学によって西洋の科学的知識を得ることを目的としたもので、ここでは蘭書の翻訳をはじめ、理化学や銃砲製造などの実験、研究が行われました。精煉方での研究は失敗も多く、費用が莫大(ばくだい)であったことから藩内では廃止の声も上がりましたが、西洋の科学技術の導入に積極的だった藩主直正公の意向で事業は継続され、明治の初め頃まで存続しました。

 精煉方には、藩命を受けた佐野常民によって、石黒寛次、中村奇輔、田中久重(東芝の創始者)・儀右衛門父子といった他藩の優秀な技術者が集められました。当時、他藩出身者を藩内に招き入れるのは異例のことでしたが、直正公は彼らを召し抱え、蒸気車や蒸気船の雛形(模型)の製作、電信機の試作といったさまざまな研究にあたらせました。

 精煉方での研究の成果や派遣された長崎海軍伝習所で得た知識を生かし、技術者たちは三重津海軍所において、藩の蒸気船「電流丸」や幕府の蒸気軍艦「千代田形」の蒸気罐(かん)(ボイラー)組み立てに携わります。その後1865(慶応元)年には、国内初の実用蒸気船「凌風丸」を完成させました。多くの優秀な人材と、藩主の熱意に支えられた精煉方での研究開発は、大きな成果となって実を結ぶこととなったのです。(佐賀市歴史・世界遺産課 野田宣心)

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