佐賀市諸富町と福岡県大川市の境、筑後川に鮮やかな朱色の橋「筑後川昇開橋」が架かっている。船を通すために橋桁の中央部分がエレベーターのように垂直に上下するが、この仕組みが国内で残っているのはここだけだ。鉄道や橋、土木に関心がある人を中心に年間約5万人が訪れている。

写真を拡大】 佐賀市諸富町(奥側)と福岡県大川市を結ぶ筑後川昇開橋。天気のよい日は川面に特徴的な可動部分の影がくっきりと映る(小型無人機ドローンで撮影)

 寒さが緩んだ1月中旬、橋を訪ねると、家族連れが遊歩道を歩いてきた。操作員として働き、5年ほどになる近くの野中広資さん(70)は「動いているところを見ていかんですか」と気さくに声をかけ、ボタンを押した。

 昇開橋が完成したのは1935(昭和10)年。そもそもは佐賀駅(佐賀市)と瀬高駅(福岡県みやま市)を結ぶ旧国鉄佐賀線(全長24・1キロ)の鉄道橋だった。現場の筑後川は流速が最大約3メートル、干満差が最大3・5メートル。さらに有明海沿岸は軟弱地盤とあって、工事は難航が予想された。

 そこで考案されたのは、有明海の干満の差を利用した架設法だった。陸上で橋桁を組み立て、それを2隻の台船に載せる。潮が満ちたときに橋脚の上に運び、潮が引くのに合わせて橋脚に設置していった。

 2003年の国重要文化財指定の際、諸富町の広報誌で16ページの記念特集を組んだ佐賀市諸富支所副支所長の鶴澤護さん(58)は「昭和初期の最先端技術の結集に触れた思いだった」と振り返る。07年には東海道新幹線0系電動客車などとともに「機械遺産」にも認定されている。

 昇開橋ができる前、南九州から佐賀を経由して長崎、佐世保に向かうには、鹿児島線を鳥栖まで上って長崎線に乗り換えなければならなかった。それが佐賀線の開通で所要時間を短縮できるようになった。物資を運搬する貨物列車のほか、通勤通学客が乗った客車が橋を盛んに行き来した。

筑後川昇開橋(佐賀市諸富町と福岡県大川市)佐賀新聞・ドローン空撮
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