文壇の大御所、吉川英治が亡くなったのは昭和37(1962)年。告別式の回想が残っている。つめたい風が吹きつける中、焼香を待つ人たちの長い行列ができた。その中に『人生劇場』で知られる尾崎士郎の姿もあった◆ときどき行列の横でざわめきが起きた。遅れてやってきた三島由紀夫や五味康祐といった当時の人気作家たちが、列を割って場内に迎えられていく。そんなことに目もくれず、尾崎は遅々として進まない人波に黙って並び続けていたという(江崎誠致(まさのり)「葬儀」)◆望めば得られる特権を求めず、寒風の中に身を置き続けたひとの後ろ姿に、人生の機微がすけて見える。ライバルたちは要領よく世間を渡っていく。自分だけが取り残されたような気持ちにもなる。そんな「冬のとき」を耐える心組みに、人の真価はあるのかもしれない◆きょうから大学入学共通テストが始まる。英語の民間試験導入など制度改革はすったもんだ。迎えた本番は深刻化するコロナ禍のただ中である。生まれた年が違うだけで、難なく関門を通り抜けた世代もあるというのに◆尾崎が生前、愛息にあてた遺書にこんな一節がある。〈運命の神様は、ときどき妙な、いたずらをする。しかし、そこでくじけるな。くじけたら最後だ。堂々とゆけ〉。飾らないエールを、受験の列に並ぶ君たちにも送りたい。(桑)

下記のボタンを押すと、AIが読み上げる有明抄を聞くことができます。

このエントリーをはてなブックマークに追加