田島神社

 呼子大橋を渡ると、呼子湾の天然の防波堤となっている加部島に入ることができます。ここには姫神が鎮座する神社があり、古くは姫神島と呼ばれていました。優雅な楼門に守られた田島神社は遣唐使船が廃止される頃までは肥前国一之宮として遇せられたとか。

 島には古墳もいくつか。鏡や勾玉(まがたま)、管玉、銅剣に加え、銛(もり)といった遺物からこの地の有力者の墓と思われます。仲哀天皇の弟・稚武王(わかたけおう)が島にとどまり、ひさご塚古墳と呼ばれる前方後円墳はその墓との言い伝えもあります。社伝には731年、相殿に稚武王を配祀(はいし)したところ、738年に大伴古麻呂(おおとものこまろ)が勅使として訪れ、田島大明神の神号を贈られたとあります。大伴古麻呂は遣唐使船に乗って唐に入ること2回。752年には副使として渡り、帰りには鑑真を乗せて帰った人物でした。

 弥生時代の終わりから古墳時代、鏡地区の中原遺跡には鉄の鍛冶工房があり、鉄素材は朝鮮半島からもたらされました。未製品の勾玉の翡翠(ひすい)は糸魚川の産。南風の吹く季節は北へ乗り出し、北風の季節には朝鮮半島から船が入る。長きにわたりこの地ではダイナミックな交易が行われていたことを思わせます。

 神社にしては珍しい北西向きの社殿が望む先には島影が見えます。振り返れば優美な社殿が宗像の3人の姫神を幻視させてくれます。陽(ひ)に照らされた島こそは灯台のひかりのようであった昔。海人たちの神々は貴人を迎え、今もなお見送っているかのようです。

文・菊池典子

絵・菊池郁夫

(NPOからつヘリテージ機構)

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