天智天皇欽仰之碑除幕式(『肥前史談』昭和8年7月発行号から引用)

 基肄=きい=(椽)城跡として有名な基山=きざん=(標高404・5メートル)は、基山町観光の要であり、町民に基山のシンボルとして親しまれている。

 基山山頂に「天智(てんじ)天皇欽仰之碑」が建立されたのは、1933(昭和8)年6月10日のこと。欽仰之碑建設を推し進めてきた肥前史談会(西村鎌三会長=当時)は、1933年7月1日発行の機関紙『肥前史談』で除幕式の様子を次のように記している。

 「昭和8年6月10日即ち時の記念日を卜(ぼく)し天智天皇欽仰之碑除幕式は、午前11時から基肄(椽)城跡頂上碑前に於いて、最も盛大荘厳に執行された」

 7世紀半ば、百済(朝鮮古代国のひとつ)再興をかけた日本援軍(当時、日本は「倭国」と呼ばれていた)は、唐・新羅(朝鮮古代国のひとつ)連合軍に白村江=はくすきのえ=(朝鮮南西部を流れる錦江の古名)の戦いで惨敗した。国家存亡の危機に直面した第38代天智天皇(626~671)は、唐・新羅連合軍の日本侵攻に備え、国内の防備を固める。

 肥前史談会では天智天皇の事跡の中で、日本最初の国防施設として最も顕著な基肄(椽)城跡に着目し、3年前の「時の記念日」に当たる1930年6月10日、佐賀市の徴古館で開催された総会において、史談会事業として、基山山頂に天智天皇欽仰之碑を建立することを決定した。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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