アフガニスタンで中村哲さん(右)と写真に納まる藤田千代子さん(左)=2005年9月(PMS提供)

 福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん=当時(73)=がアフガニスタンで凶弾に倒れて4日で1年。同会の藤田千代子さん(61)は19年間現地で共に活動し、治安悪化で11年前に帰国した後は日本から支え続けた。「どこにいてもアフガンの力になれる」。中村さんの言葉を胸に、これからも二人三脚で歩み続けていく。

 看護師だった1990年、中村さんが活動するパキスタン北西部ペシャワルの病院へ赴任し、ハンセン病患者の治療に従事。イスラム教では女性が異性に肌を見せない文化があり、女性患者のケアに当たるスタッフが必要だったからだ。

 当時、治療ができる医師は中村さんを含めて国内で3人。医療器具も不十分な環境下で、病院は常に患者であふれていた。文化になじめず、一度は帰国したこともあったが、中村さんの「患者の顔に感謝の気持ちが表れている。間近で見られる僕たちは役得だね」との言葉に励まされてきた。

 治安悪化を受け、拠点は次第にアフガンへ。2000年に大干ばつに襲われると、中村さんは「薬より水が必要」と考え、医療活動の枠を超えて井戸掘りや用水路建設に軸足を移した。藤田さんも植樹を手伝い「普段は清潔を気にするナースが、いつの間にか泥んこになって働くことがうれしくなった」とほほ笑む。

 08年に日本人スタッフが殺害された後は中村さんを残して撤収を余儀なくされた。以来、1人で陣頭指揮を続けた中村さんを日本から支え、事業の進捗(しんちょく)確認や会計業務などを担った。

 中村さんの訃報を聞いたときは故郷の鹿児島から福岡に戻る途中で、一人涙した。遺族らとアフガンに向かい、遺体と対面した際は、志半ばで倒れた中村さんにあえてこう言った。「先生、まだお疲れさまではありませんからね」。天国から力になってほしいという思いがあったからだ。

 あれから1年。今年は新型コロナウイルスに現地スタッフが感染したり、水害で用水路が被災したりと、何度も障害を乗り越えてきた。難しい判断を迫られるたびに「先生ならきっとこうするだろう」と、中村さんの存在を感じている。

 手掛けたかんがい事業で現地では1万6500ヘクタールに緑が戻り、65万人の生活を支える。しかし、講演などではこう強く訴える。「アフガンの干ばつはまだ続いていることを忘れないで」。今もなお苦しんでいる人々のため、中村さんの思いと共に一歩一歩進んでいく。【共同】

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