「願正寺のあゆみ」を執筆した前住職の熊谷廣城さん=佐賀市呉服元町

「願正寺のあゆみ」を執筆した前住職の熊谷廣城さん=佐賀市呉服元町

 関ケ原の戦いに絡んで建立された願正寺(佐賀市呉服元町)の歴史をたどる書籍「願正寺のあゆみ」を、前住職の熊谷廣城(こうじょう)さん(89)が出版した。現存する本堂は1702(元禄15)年に建てられ、幕末は志士たちが集い、明治には初めての県議会が開かれるなど、佐賀の歴史の舞台となってきた。

 40年前に製本まで終えていたが、当時の社会情勢から公表を見合わせた経緯があり、熊谷さんは「ようやく世に出すことができた。この寺が地域に根差していることを知ってほしい」と話している。

 第1部は40年前の旧著「願正寺略史」をそのまま収録し、第2部は「今昔」として、ここ40年の動きを書き加えた。

 冒頭の「寺のなりたち」では、本願寺の准如(じゅんにょ)上人への恩返しとして建てられたと紹介。後の佐賀藩初代藩主の鍋島勝茂が、関ケ原の戦いで父・直茂の意に反して西軍に加勢し、その行動を准如上人が徳川側にとりなしたという。

 本堂は九州でも指折りの大型木造建築で、県内で最も古いとみられる。欄間には中国の「二十四孝」の物語が透かし彫りで施されている。銘に、日光東照宮の眠り猫で知られる名工・左甚五郎の流れをくむ職人が手掛けたと残る。

 1883(明治16)年、初の佐賀県議会も開かれ、通算7回、議場として用いられた。1913(大正2)年には大隈重信が学生らを前に講演している。

 このほか、城下町に時を伝え続けてきた鐘楼の由来や、親鸞聖人を描いた特別な掛け軸、佐賀の七賢人の副島種臣の巨大な額などを取り上げた。

 40年前は用語などに差別的な意味が含まれている懸念からお蔵入りさせたが、改めて確認して問題がないと判断した。熊谷さんは「昨年、専門家に見てもらい、このまま発行するよう勧められた。当時、発刊を心待ちにしていた皆さんの気持ちをくんで、旧本がそのまま入った形にした」と話す。

 「願正寺のあゆみ」は600部発行。非売品で、県立図書館などに寄贈した。(古賀史生)

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