宮島醤油本社事務所

 宮島醤油(しょうゆ)本社の建つ唐津市船宮町は、江戸時代の初代唐津藩主・寺沢志摩守(しまのかみ)広高が松浦川河口の左岸に水軍基地である船宮を設けたことによって成立しました。当時は御船宮と呼ばれ、着岸のための枡形(ますがた)の堤防や船奉行所の置かれた船奉行にまつわる武士の居住地でした。

 宮島家の祖は秀吉の従弟で勇猛な戦国武将・福島正則のもとで働く舟手役人でした。文禄・慶長の役で海上物資輸送を担いましたが、戦が終わった後に名護屋に残り、志佐(長崎県)を経て水主町(かこまち)に移り住んだという言い伝えがあります。唐津藩主・水野候の時代には水主町で富田屋(とんだや)という屋号で魚屋、小料理屋を営んでいました。その後、6世宮島傳兵衞(でんべえ)の代には炭鉱や川舟の運行に乗り出します。

 6世の孫・7世傳兵衞は13歳で当主となり、炭鉱関係者の宿屋や遠隔地海運業を始めます。明治後期に宮島商店の事業を支えたのは石炭、火薬、醤油の三本柱でした。その後、事業の主軸を時代に左右されにくい堅実な醤油醸造に移し、明治42年、新堀(しんぼり)と呼ばれていた船宮町に新工場を建てます。大正年間には工場と倉庫の増改築を繰り返しました。

 宮島醤油本社事務所は昭和9年築のミントグリーンの洋風木造平屋建て。玄関のマンサード屋根の軒下や旧唐津街道側の通気口の意匠がアクセントとなって瀟洒(しょうしゃ)な印象が残ります。

 唐津くんちの曳山(やま)が走る旧唐津街道に面して建つ近代産業遺産。ここには進取の気性と海運への憧れが今もなお漂っているようです。

文・菊池典子

絵・菊池郁夫

(NPOからつヘリテージ機構)

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