修復を終えた13番曳山「鯱」の本体と台車を接合する水主町水組の若衆=10月11日、唐津市北城内の西ノ門館「曳山の蔵」(撮影・米倉義房)

修復前の鯱(昨年5月撮影)

修復後の鯱。目の上の「虎斑」の有無や金箔の口唇の太さが違う

鯱の舌の取り付け作業にかかる水組の若衆=10月4日

昭和5年に新造した「鯱」(水主町水組提供)

神事後、新しくなった鯱の前で記念撮影する水主町の関係者=唐津神社前

下地塗りが施された鯱の尾びれ部分(前川源明さん提供)

中塗りを施された鯱の尾びれ(前川源明さん提供)

上塗りを施された鯱の尾びれ(前川源明さん提供)

新調した台幕の横で、故宮島傳兵衞さんが揮毫した「水主町」を手にする宮島清一社長=唐津神社

 唐津くんちの13番曳山(やま)「鯱(しゃち)」(水主町=かこまち)が保存修復を終え、18日に神事や関係者へのお披露目があった。石川県の伝統工芸である輪島塗の職人によって鮮やかな“赤”がよみがえった。約1年かけて北城内の西ノ門館「曳山の蔵」で進められた修復の工程を紹介する。

 昨年のくんち翌日の11月5日、作業が始まった。唐津神社で安全祈願祭を行い、近くの「曳山の蔵」に移動、すぐに作業に入った。田谷(たや)漆器店(石川県輪島市)の塗師(ぬし)たちが破損箇所を調べながら、古い塗膜をかき落とす。年明けから下地補修に。亀裂やへこみに刻芋(こくそ)漆を埋めたり、盛るなどして表面を整え、補修した。

 昭和5年の姿に

 3月下旬から下地塗り。今後の塗りに影響する重要な工程の一つだ。漆は砥の粉、米のり、珪藻土(けいそうど、輪島地の粉)を混ぜ合わせたもの。「漆が固まったら研ぐ」を繰り返し、強固な下地を作り上げた。

 中塗りは6月から。ベンガラの色漆を塗り、固まったら研ぐをここでも繰り返す。研ぎあげることで表面がなめらかに整った。

 7月25日、ついに上塗りへ。辰砂(しんしゃ、赤の顔料)の色漆による上塗りは一発勝負。最初はボディーから、10時間かけて塗り上げた。翌月には頭部の上塗りを終えた。

 そして金箔(きんぱく)押し。金沢の金箔職人が下層の痕跡や昔の写真に基づき箔を貼った。鯱は1876(明治9)年に制作されたが、初代は傷みが激しく、1930(昭和5)年に新造して現在の姿になった経緯がある。今回、昭和5年にあった目の上の横長楕円(だえん)の文様「虎斑(とらふ)」を復元した。前回の88(昭和63)年の塗り替えで覆われていたが、以前の姿を知る人たちから「昭和5年の姿に」の声が上がっていた。

 口唇の金箔帯細く

 口唇の金箔帯も細く、大ビレ付け根のうろこのフチの帯は幅広くするなど元の姿に戻った。新造時と66(昭和41)年の修復でも輪島の塗師が手掛けており、今回は「昭和5年」を強く意識した形になった。

 今月に入って組み立てに入り、11日に台車に載せた。1年間、作業を見守った水主町曳山副取締で保存修復実行委員会の事務局を務めた前川源明もとあきさん(48)は「曳山は先人からの預かり物。昭和5年の面持ちを保つ形で、後進に引き継ぐ修復になった」と感慨深げに話した。

 今年はあいにくコロナ禍でくんちが中止になった。町を走る勇壮な姿は1年間お預けになったが、来月から曳山展示場で華やかさを増した鯱に会うことができる。(成富禎倫)

台幕、宮島傳兵衞さん揮毫 「水主町」力強い線で

 今回、台幕も新調した。正面の「水主町」の文字は、今年3月に98歳で亡くなった宮島醤油元社長の宮島傳兵衞(でんべえ)さんが揮毫(きごう)した。藍色の中に太く力強い線が堂々と映える。

 宮島家と鯱の縁は古く、初代の創建時から。1876(明治9)年、宮島醤油を水主町で創業した七世傳兵衞は“後見”を務めた。1930(昭和5)年の新造でも宮島家は多大な援助を行った。

 町は、2018年7月に傳兵衞さんへ揮毫を依頼。長女、林潤子さんの助言を受け、何枚も練習したという。会心作を昨年11月に町へ渡した。

 修復作業も見学したという傳兵衞さん。最後まで気に掛けていたという。鯱は毎年11月3日の御旅所神幸後に家の前に来ており、長男で社長の清一さん(69)は「立派になった姿で来ることを楽しみにしていた。今日の写真を見せてあげたい」と話した。(成富禎倫)

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・【動画】唐津くんち13番曳山「鯱」修復終える

 

唐津くんち13番曳山「鯱」、塗り替え修復が完了(2020年10月17日)
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