どんなに大切な人であっても最終的にはどちらかの死によって別れなくてはなりません。自分の死には関心がなくとも、大切な人が亡(な)くなるのは想像(そうぞう)するだけでも辛(つら)く、悲しく感じる人が多いのではないでしょうか。また、今その悲しみのまっただ中にある人もいらっしゃるでしょう。
 どんなに悲しくても寂(さび)しくても、亡くなった人が生き返ってくることはありません。そんなことは分かっていても悲しまずにはいられないというのが心情(しんじょう)です。最初気遣(きづか)ってくれていた周囲の人も、しばらくすると励(はげ)ましのつもりで「いつまでもくよくよするな」とか「乗(の)り越(こ)えろ」「早く忘(わす)れろ」とか言ってくることがあり、それに腹(はら)が立ったり受け入れられなかったりもします。亡くなったことは事実として受け入れていくしかありませんが、悲しい時は悲しんでいいのです。ふと悲しくなることもあります。時間が経(た)っていても悲しんでいいのです。我慢(がまん)することではありません。みっともなくもありません。
 逆(ぎゃく)に、悲しくない、悲しめないと心配する人もいます。それも悪いことではなく、今はそうだというだけのことです。
 どちらも、その思いを静かに聞いてくれる相手がいるとありがたいものです。反応(はんのう)を試(ため)しながら話しやすい相手を探(さが)してみましょう。
 SNSでも身近な人でも、悲しさや寂しさを悪用する人がいます。話相手は慎重(しんちょう)に選ばなくてはなりませんが、迷(まよ)ったら保健(ほけん)室の先生やカウンセラーさんなどに話してみてください。
 (浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

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