不変に見えていた秩序が突如溶解し、劇的な再編へと進むことが、歴史にはままある。1989年のベルリンの壁崩壊から、東欧民主化、冷戦終結を経て91年のソ連消滅に至る道筋は典型だろう。中でも90年10月3日の東西ドイツ統一はハイライトの一つだった。

 壁の崩壊から数週間で、統一への足取りが加速したとき、フランスなど周辺国は浮足立った。冷戦の最前線だった欧州中央部に、人口でも経済力でも抜きんでた大国が出現する。西ドイツのコール首相(当時)は、自国を欧州統合の枠組みに押し込むことで、各国の懸念を和らげ、1年弱で統一を成し遂げた。

 それから30年。欧州の力関係は一変している。ドイツは欧州連合(EU)の中で、盟主と呼ばれる存在になった。では、期待される責任を果たしているだろうか。

 冷戦期に生まれた西ドイツは、控えめを信条とするような国家だった。外交の要はナチス時代の贖罪(しょくざい)であり、隣国フランスとの協調であり、米国への忠誠だった。「(ナチスの過去と分断の現実から)西ドイツには『国益』という概念がなかった」とベドリヌ元フランス外相は話す。

 統一後、90年代の終わりからドイツの姿勢は変化する。シュレーダー首相(当時)は、ドイツが国益を追求する「普通の国」になったと宣言。2003年に米国が主導したイラク戦争では、武力行使に反対を貫き、米国を驚かせ憤慨させた。

 現在のメルケル政権は、この延長線上にある。18年の先進7カ国(G7)首脳会議で、自国第一主義のトランプ米大統領をメルケル首相が正面からにらむ有名な写真は、ドイツが30年で培った自信の表れも示している。

 加えて1999年の単一通貨ユーロ導入が、ドイツの経済的優位を盤石にした。欧州最強通貨だったマルクからユーロへの移行で、輸出への依存度が高いドイツ経済は通貨安の恩恵を享受する。2016年には、世界最大の経常黒字国となり、EU各国から「独り勝ち」を批判された。

 2010年から深刻化した欧州債務危機では、ギリシャなど危機に陥った国々の債務軽減に難色を示し、ドイツ流の厳しい財政規律を要求。社会保障費などのカットで生活苦にあえぐギリシャ国民らの怨嗟(えんさ)の的となった。欧州の「南北対立」を悪化させた責任は重い。

 ただ、変化の兆しはある。きっかけは新型コロナウイルスの感染爆発だ。大きな打撃を受けたイタリアやスペインなどを救済する復興基金創設で、EUは初めて「共同債」の発行で合意した。これまで放漫財政を助長するとして反対を貫いてきたドイツが姿勢を転換したことが大きかった。

 「共同債」はコロナ限定の特別措置だが、EUが結束を再確認した意味は小さくない。英国のEU離脱で求心力を失いつつあった欧州統合を元の軌道に戻せるか。盟主としてドイツが大きな責任を担うときだろう。

 東西ドイツの統一当時、もう一つの冷戦の現場、朝鮮半島の南北統一も期待された。この30年、南北、日朝、米朝と数々の首脳会談が行われたが、分断線はそのままだ。だが諦める必要はない。何かのきっかけで、歴史の歯車が加速を始めると、その後の変化は想像を超えることがある。30年前、私たちはそれを目撃し、学んだ。【共同通信・軍司泰史】

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