子ども新聞の対象となる小中学生に「死」について話をしても無駄だという声がいまだにありますが、思春期は死や自己存在について真剣に悩む大切な時期であり、興味も強く、決して無駄ではありません。子どもに人気がある小説、マンガや歌の詞にも、死を扱ったものは非常に多く、描かれ方がドラマチックすぎるきらいはあるにせよ、子どもたちが生き死にについていろいろと考えていることは間違いありません。

 子どもに話しても意味がないというのは、理解、解決ができないという趣旨だと思いますが、それは大人も同じことかもしれません。生まれたからにはいずれ死にゆくと頭では分かっていても、自分の死ときちんと向き合って解決した大人というのはそんなにいないのが実状です。考えてもしょうがないからと、うまく脇に置いて折り合いを付けたことにして生きているのが私たちの姿ではないでしょうか。

 子どもたちは真剣に考え、問いかけてきます。死んでしまいたいという思いを打ち明けられた時には、その背景にある辛さをくみとるやりとりが必要ということは以前に述べました。しかしながら、「死ぬのが怖い」「死にたくない」「死んだらどうなるの?」の問いにどう答えればよいのかは悩むところです。

 子どもが死について口にすると、驚きや怖さから拒絶してしまったり、または、こちらに明確な答えがないことから、おとぎ話的な答えでお茶を濁したりしてしまいがちです。しかし、幼児ではなく、思春期の子どもたちにこういった反応を示すことは、大人への信頼と興味を失わせる原因になりかねません。分からないことについては、分からないと伝えるのが一番いいように思います。大人も死にたくはないし死ぬのは怖い。でも、死んでしまいたい時だってある―ということをそのまま伝え、問答ではなく、会話としてお互いの思いを話してみるのがとても大切だと考えます。子どもの思考を制止するような態度ではなく、自然なこととして接してほしいと思います。

 子どもたちも、きっかけを通して問いを持ちます。身近な人やペット、芸能人、アニメのキャラクターなどの死を縁として、自分のいのちを考える大事な機会を摘み取らないようにしたいものです。(浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

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