私(わたし)たち人間は、死ぬのがこわい、死にたくないと思ったり、死んでしまいたい、消えてしまいたいと思ったりするものです。
 生まれたからには、必(かなら)ず死にます。どうしても避(さ)けることができません。生まれかたと同じく、死にかたも選(えら)べませんし、タイミングもわかりません。これは、どんな生きものにも共通(きょうつう)です。
 「死ぬのがこわい」「死んでしまいたい」「死んだらどうなるの?」。いろんな思いや疑問(ぎもん)を口に出して、しかられたり、いやがられたりしたことがないでしょうか。死の話題は体験(たいけん)した人がいないので、答えがなく、実はみんなよくわからないのです(大人は答えられない質問(しつもん)をいやがりますよね)。
 死について口にしてはいけないわけではありません。誰(だれ)も教えてはくれないのに、あなたはとても大事なことに気がついたのです。私もあなたも、まわりのひとも、ずっと生きていられるわけではないのです。ただ、なんとなく死をこわいと思っていても解決(かいけつ)できませんので、どうしても気になるならば向き合う必要(ひつよう)があります。
 死についての考え方は昔からいろいろあるので、学んでみるのもいいでしょう。宗教(しゅうきょう)や哲学(てつがく)などを学んでみると、死を考えるのは、生きることを考えることだと気付(きづ)くはずです。ここで大切なのは、いつまでも生きてはいられないけれど、今ここにこうして生きているということをどう受け止めるかではないでしょうか。
 生きるのは楽しいばかりではありません。死にたいくらいつらい思いも、保健(ほけん)室の先生やカウンセラーさんなど信頼(しんらい)できる大人に話していいのです。
 (浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

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