油流出被害から復旧し、田植えを終えた農地と灰塚晃幸さん。奥は昨年8月の大雨で一時孤立した順天堂病院=杵島郡大町町福母

 記録的な大雨で県内で3人が死亡、3人が重傷を負うなど、佐賀県武雄市や杵島郡大町町を中心に大きな爪痕を残した佐賀豪雨から28日で1年になる。被災した人や支援を続ける人たちが、この1年を振り返る。

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 正月には親戚が毎年集まっていた。昨年8月の豪雨で自宅が被災したため、今年は断った。被災した自宅は建て替え工事が進んでいるから、お盆も集まることができなかった。収穫する予定だった農作物も廃棄することになった。振り返れば、何もない1年だったように思う。

 自宅は床上1・5メートルぐらい浸水し「全壊」の判定だった。佐賀鉄工所から流出した油は、自宅と近くの農地に流れ込んだ。避難所で生活していた時期は、気になって何度も農地を見に行っていた。

 避難所を出てからは家族3人、自宅に隣接する農機具小屋の2階に住むことになった。1階部分に自宅の風呂を移したため、収納できていない農機具もある。被災した自宅の改築も考えたが、壁に油が染みこんでにおいが付いてしまって、そのまま住むことを諦めた。自宅は12月下旬に取り壊したが、新型コロナウイルスの影響もあり工事が遅れ、いまだに小屋での生活が続いている。

 近くの農地の約6ヘクタールで大豆や米などを栽培しているが、昨年の油流出被害で全て廃棄せざるを得なくなった。農機具もほとんどが使えなくなり、損失額は約4千万円に上った。国などの補償もあったが、自己負担が2割ほどはあった。

 農作業で使っていた軽トラックは補償がなく、新しく買い換えた。幸い、土壌検査の結果では土を入れ替える必要がなく、6月下旬から田植えを始めている。被災後のボランティアの助けもありここまでこられた。今年は梅雨が長引いたが、農作物はなんとか大丈夫だと思う。

 農地があるから、引っ越しは考えなかった。来月には新築した家が建つ予定。家ができて初めて、昨年の豪雨被害がやっと終わったという感じがするだろう。専業農家になって約35年が過ぎた。体が動く限り、ここで農業を続けていく。(岩本大志)

 

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