今泉惣左衛門木像(小城市立歴史資料館蔵)。当時の小城藩兵がブーツにコートという西洋式の軍装であったことがわかる

 慶応4(1868)年8月8日、小城藩兵約700人が新政府側について孤立した秋田藩を救援するために出発した。戊辰戦争では、東北地方の大名が旧江戸幕府側の立場をとった中で、秋田藩は新政府側についたため、南の山形側から庄内藩、東の岩手側から南部藩の攻撃を受けた。

 小城藩兵は、11日伊万里から乗船。22日秋田の男鹿半島に上陸した。24日秋田城下で、佐賀藩兵とともに岩手方面への進軍の命令を受け、現在の能代市、大館市付近で南部藩勢と戦った。9月21日南部藩と和議が成立し戦闘は終了した。小城藩兵は、盛岡、仙台を経由し、東京に移動し翌年1月5日小城に帰る。

 この戦いで、小城藩士今泉惣左衛門が9月4日の戦闘で深手を負い、移送中死亡した。秋田市内の全良寺にある官軍墓地に葬られた。また、遺族により造られた木像が現存している。

 2日の戦闘では、小城藩士香田市助、上無津呂村軍夫儀平、大日小路軍夫弥平が戦死し、清徳寺に葬られた。能代市二ツ井町にある清徳寺には戊辰戦争時、戦死した佐賀・小城藩兵の墓碑8基が祭られており、毎年、慰霊祭が行われている。寺の入口には「戊辰役肥州八勇士之墓有り」いう標柱が建っている。

 戊辰戦争の中、小城から秋田に出勢し現地で亡くなった人がいたことを記憶にとどめておきたい。(小城市教育委員会文化課・田久保佳寛)

このエントリーをはてなブックマークに追加